鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

「死なせてあげる」ことに勝る愛情もないのかもしれない

 

先日こんな記事を読みました。

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 海老名市河原口1丁目のマンションで5月、無職の女性(86)が頭を殴られるなどして死亡した事件で、海老名署は24日、殺人の疑いで、夫で無職の男(69)を逮捕した。

 逮捕容疑は、5月30日午前9時ごろ、自宅マンションで、女性の頭をフライパンで数回殴った上、首を包丁で数回刺して殺害した、としている。

 署によると、夫婦は2人暮らし。女性は認知症のほか、歩行が困難で、訪問看護・介護を受けていたという。同日午後4時55分ごろ、親族に頼まれて訪れた介護ヘルパーの119番通報で駆けつけた消防隊員が倒れている女性を発見。その際、同容疑者も自ら包丁で首を刺すなどして重傷を負っていた。

 調べに対し、同容疑者は「妻の認知症が重く、このまま生きていくのはかわいそうだと思った。一緒に死んであげようと思った」と容疑を認めている。

 

痛ましいニュースです。もうね、なんか。色々考えさせられます。

本当に、久しぶりに言葉がない。。 

 

ニュースを読んで、この数日考えたことを綴ってみます。ゆっくりしていってね。

 

 

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「死にたい」と思う願いは、誰にも届かない

「死にたい」

今まで生きてきて、そう思った経験は、何度も・・・そう、何度もあります。

 

今でこそ笑って「鳥頭」を名乗れるぐらい強くなったけど、障害一歩手前な自分のスペックが嫌で嫌で仕方がありませんでした。親を恨み、世間を恨み、人間という生物を恨み、世界を憎み。そう憎んでるものに囲まれながらも、のうのうと生きている自分が一番嫌いでした。

 

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自分を恨み、殺してやりたいって思ったこともある。

自分を諦め、生まれなかったことにしたいって思ったこともある。 

そして、実行に移したこともある。

結局、やりきれずに泣いたこともある。

 

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不謹慎だけど、通り魔に出会いたいって思っていました。自分に車が突っ込んできてほしいって思っていました。死のうとしたけど死に切れず、誰かに「死」を求めました。

 

今でも「死」は最大の救済なのだと思っています。生きることが苦しい、死ねば楽になるって。・・・逆にそう思わなければやっていられなかったのでしょうね。

死んで今より地獄に行くとか、救いがなさすぎじゃないですか。生きることに希望が見出せないなら、死ぬことによって多少の救済があると信じて何が悪いのかと、そう思ってしまうんです。

 

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苦しい時、誰かが殺してくれるならどんなに楽になれるだろうか。

ずっとそんな風に思っていたんですよ。本当のことを言うと、今もそう。

 

でもね。

こんなに他人に死なせてほしいって思っていても、誰かが同じことを言ってても「叶えてあげよう」とは思えないんですよ。

 

当たり前、なのかもしれません。でも、不思議ですよね。

 

 

「殺された人」を羨ましいって思ってしまった

どんなに死にたいと願っていても、それを叶えてくれる人はいませんでした。自分が、大事な人から「後生だから殺してくれ」と頼まれても「応」とは答えられないように、ほとんどの人間は、人を殺すことなんてできないんです。 

 

実行するには倫理の壁があり、道徳の壁があり、自分の哲学があり・・・となぜか様々な障壁があります。下の記事でくどくど書いたけど、法律とか教育って、実はすごい抑止力になっているんですよね。

 

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でも、そんな様々な障壁を越えて、それでも「この人を死なせてやりたい」と。今回の「加害者」の男性はそんな風に思ったんでしょう。

 

もしかしたら、認知症の奥さんはそんなこと思っていなかったかもしれません。単なる「加害者」の男性の思い込みのままに殺された可能性もあります。だから、ここからは想像とかががっつり入ります。

このニュースを美談だとは思いません。むしろ悲劇と同じような色をしていると思います。あるのは人が一人死んだという事実と、殺した人いるという事実。それは法律で裁かれないといけないことで「悪いこと」だと思います。

 

でも、本当にその人のことを思いやると、人は常識でも倫理でも道徳でも、超越することができるのかもしれないって。それだけの行動が起こせる「加害者」の男性をすごい人だって。「被害者」の奥さんを、羨ましいって。

どこかそんなことを思ってしまう自分がいます。

 

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「死にたい」を叶えられるほどの愛

管理人が思う「死なせてほしい」と、この夫婦の中での「死なせてあげたい」は全然違うと思います。

 

だって管理人は単なるうつ症状。治る可能性はありました。

しかし、この老女は認知症。体は弱っていく一方で、どんどん人格も記憶も無くなっていく。そんな状態だったのかと思います。

そんな状況を同列に考えて「羨ましい」と思うなんて、と自分でも思います。 

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長年連れ添った大事な人が、日に日に衰え、自我や記憶が曖昧になっていく。その光景を見ているのは、、多分、ものすごく辛いんだろうなって思います。 

 

「長く共にありたい」そう思う気持ちもあったと思います。

それでも「このまま生きるのはかわいそうだ」って気持ちを。相手への情愛を。老女の本当の人格を愛した男性を。管理人はどうしても糾弾できないんです。

 

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私に親は殺せない

 

これが自分の親だったら、どうしたんだろうか。

そう考えてしまう自分がいます。

 

今は両親ともに健在です。ちゃんと意識もしっかりしているし、会話もできます。認知症にはなりたくないと言いつつも、そんな未来はまだ先だと本人たちも、自分やきょうだいも思っています。

 

仮に親が認知症になっても、自分は最期まで面倒を見るでしょう。それがせめてもの恩返しだと、務めを果たすつもりではいます。

 

だって自分に、親は殺せない。

たとえ、本人達が死を望んだとしても。

 

「殺せない」のか「殺さない」のか。その根幹が倫理や常識なのか、自分の希望なのか。わからないまま生かすのだと思います。

 

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