鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

休み方がわからない?仕事人間のあなたに試してほしい休むメンタル作り

 

「休み方がよくわからない」そんな悩みはありませんか?

最近疲れ気味の管理人です、どうも。 

疲れ果てた結果、会社の扉をICOCAで開けようとしたり、袋麺のうどんをカバンに詰めて出社したり、歯ブラシくわえたまま外出しようとするなどの奇行が増えてきました。徐々に周囲を巻き込みはじめているので、そろそろ休まないとと思いつつもうまくいっていない。そんな状況だったりします。

 

はい、典型的な休み下手、鳥頭です。

 

どれだけ疲れていても、家にいても仕事のことが頭にチラついて、あまり休まっている気がしないんですよね。。夢の中で仕事をしているのは日常茶飯事、青褪めるようなミスをしたところで目が覚めたりするタイプです。あれほんと心臓に悪いからやめてほしい。

 

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意識が高いわけでもなく、仕事に熱意を持っているわけでもない。変に真面目を拗らせた休み下手なのです。

 

最近は、いろんな助言を得て、少しずつ改善していたりもしますけどね。

今日は、いろんな人に相談した結果得られた助言の中で役立ったものを紹介します。

 

 

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休み下手はなぜ起きる

そもそも休むのが下手ってなんなの?って話ですよ。

 

人間には動と静、両方が必要であり、働けば休まないといけないもんなんですよ。それが下手くそって、、一体全体どういうことやねんってなりますよね。

 

自己分析の結果なんですが、休み下手な人って、総じて切り替え下手です。 

 

リフレッシュしに行った外出先でも仕事のことを考えて、そわそわしてしまったり、せっかく取った有給の最中でも「あ、あの連絡忘れてた!」とか思い出してしまったり、自分が欠員することで開く穴で誰か困ってないかなって気が気じゃなくなったり、仕事行ってる時より遥かに疲弊するっていう本末転倒っぷり。

 

家にいるときぐらい仕事のこと忘れて休んだ方がいいってわかってるんですけどね。

どうも片足が抜けず、結局頭の半分ではずっと仕事しているような感じです。

 

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正直なところ、結構悩んでました。

ただでさえ、仕事をしている傍らでブログの運営とかもやって、それなりに遊びもやって、と「動」の時間が長い傾向にあるのに。。ちゃんと休めないと頑張りどころで動けなくなってしまうわけですよ。

 

でもね、いくら「仕事終わった!切り替えよう!」と頑張ってもうまく休めなかったんです。「・・・切り替えるって何に?」って。仕事モードでないなら、何モードになればいいの?と休止モードを搭載していない鳥頭は混乱してしまうわけですよ。

 

仕事っていう木から離れても、飛び移る先がない感じですね。

「え、このまま手離したら地面真っ逆さまに落ちるけど???大丈夫??????・・・いや、大丈夫じゃないよね????大怪我だよね???」って。

 

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そんなわけで、意識低い系の仕事人間の一丁あがり。

 

個人的にも不本意なことこの上ないので、いろんな人に「休み方」を聴きまくってみました。

大半は「心地よくなることをやってればいいじゃん」とか「寝てたら結果的に休まるからおk」とか、よくわからない助言や、夢の中にも逃げ場がないから却下な助言ばかりでした。

しかしその中で「あーなるほど」と思わせられる助言があったので、シェアしたいと思います。

 

 

休み方がわからない人へ「時間を無駄にしろ」

「自分を動物に例えると?」という面接官の問いに、間髪入れずに「ナマケモノ」と答えて落ちた腐れ縁の友人からの助言です。

「時間を全力で無駄にしろ」

 

それまでもらった助言が「休まらないのって場所の問題じゃないの?図書館とかカフェとか巡ったら?」とか「いっそ限界まで体動かせばいいじゃん、10キロぐらい走ってこい」とか、行動ベース(9割脳筋)の助言が多かった中で、数少ない抽象的な助言でした。

 

友人の主張はこうです。

「よし、今日1日は全力で時間を無駄にしよう!って決めるとな、自分にとって『必要なこと』は行動の選択肢から外れるのよ。んで無意識の中にあった『必要じゃないけどやりたいこと』がちゃんと出てくるから。後はそれをやればいい」。

 

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ちょっと感心しました。

 

真面目人間にある「時間の浪費は悪」っていう概念を根底からひっくり返す考え方です。

休めないのは、休息を「無駄なもの」と無意識に捉えているからであり、休息を妨げる概念ごとどっかにやってしまわなければいけないってことなのでしょう。それが「時間を無駄にする宣言」。

 

確かに「好きなことをして過ごしていいよ」って言われると、普段できないままになっていた「やるべきこと」が脳裏に浮かびます。

でも「今から時間を無駄にしましょう」って言われると、やるべきことが頭に浮かんでくる余地はないかもしれません。

 

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休むことへの罪悪感を感じなくてもいい理由

「全力で時間を無駄にしよう」と決意する。その意図やメリットはなんとなくわかりました。しかし、休むまでの壁はそれだけではない気がします。

 

鳥頭「無駄な時間を過ごすって、ちょっと罪悪感ない?」

友人「遊びのないハンドルの車なんて怖くて乗れないでしょ」

 

いざ無駄な時間を過ごそうと思っても、罪悪感に駆られるような気がしました。そこで、そんな罪悪感との付き合い方を聞いてみたら返ってきたのがそんな回答。

 

そう考えると「浪費される時間」ってのも、一概に無駄じゃないんだなって思わされます。字面にすると変ですが「無駄な時間も必要」ってことなのかなって。

 

事故をしないため、全部の時間を「やるべきこと」にしなくても大丈夫。というか、そんなゆとりのなさだと、逆に事故を起こすってことなのかもしれません。普段の自分を省みて「ちょっと生き急いでいるのかな、遊びを持たせた方がいいのかな」って思わされました。

 

 

まとめ

ぐうたらな友人からの助言でしたが、意外にしっくりきたので記事にしました。

力の抜き方がわからない。どうやって休めばいいかわからないあなたへのヒントなれれば幸いです。 

 

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