鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

「自信」と「うぬぼれ」って何が違うの?

 

自信とうぬぼれの違いってなんだと思いますか?

 

 

突然の質問に「はあ?」と思われた方も多いでしょうかね。とにもかくにも、自信とうぬぼれ、それぞれの言葉をどう認識しているかちょっと考えてみてください。

 

「全然違うよ。自信は自分を信じる力で、うぬぼれは過信してしまうことでしょ?自信はいいことで、うぬぼれは悪いことだろ」

世間一般の意見としてはこんな感じではないでしょうか。

 

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でもね、過去の管理人は「自信」とか「自分を信じる」とか「うぬぼれ」とか「過信」とか何一つ意味がわかんなかったんです。

 

「自分を信じる」って簡単にいうけど、信じるってどういうこと?自分を問答無用で正しいんだと思うことを自信って呼ぶんだとしたら、それってすげー盲目だと思うんだけど。なんでそれがいい意味になるんだ?それこそ「過信」じゃないのか?というか「過信」なんて結果論で語るものなんじゃないの?失敗があってはじめて「過信してましたすいません」ってなるんじゃないの?だったら「自信」と「うぬぼれ」の違いって、結果で語られてしまうの?そんな無責任な言葉なの??

 

鳥 頭 大 混 乱 。

 

何かと励ましで「自信持ってやりなよ」って言われる機会があったけど、そのたびに鳥頭の脳内はぐちゃぐちゃに疑問符が積み重なった状態になってしまったのでした。

 

今回は、「自信」と「うぬぼれ」の違いがわからず、迷走したとある高校生(鳥頭)が、本物の「自信」が何かわかったというお話です。ゆっくりしていってね

 

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うぬぼれて、一気に転落する感覚が嫌だった。だから自信もうぬぼれも捨てることにした

高校生の頃の自分を評価するならば「臆病」という単語がしっくりきます。

 

常に何かに追われて、逃げてを繰り返す、現実逃避の得意な高校生でした。傍目に見てる限り「ぼけっとしてはいるけど、まあ普通のやつなんじゃない?」くらいの評価だったと思います。

 

そんな普通の高校生が怯えていたとあること。それが「うぬぼれ」でした。

 

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きっかけは何だったかあんまり記憶には残っていないんですが、自分の力を過信して痛い目を見たっぽいです。自分ならできると思っていたこと。それができない。その状況に過剰なぐらい絶望を感じたようですね。

 

さすがに10代前半のガキには堪えたんでしょう、それが。自分の中に100あると思っていたものが、蓋を開けてみれば0だった。情けなさに苛まれた経験がトラウマレベルに突き刺さってしまったんですね。

 

その絶望感から立ち直って、やってきた高校生活。

その高校生は一つのスローガンを自らに掲げます。

それが「自信を持たない、うぬぼれない」でした。 

 

自信とうぬぼれって結果次第の紙一重なもの?自信とうぬぼれって何が違うの?

うぬぼれによってトラウマを植えつけられたガキの思考は単純でした。

 

  • 自分に「うぬぼれ」てしまうと絶望する
  • だったら「うぬぼれない」ことを徹底しよう
  • でも「うぬぼれ」ってなんだ?「自信」とどう違うんだ?
  • 「自信」だと思ってても、失敗したら「うぬぼれ」って言われるのかも。よくわからんがそういうことにしておこう。
  • つまり結果が出てない状態では「自信」も「うぬぼれ」も同じなんだ。つまり「自信」も危険だ。
  • 両方持たないようにしよう。 

 

要は車の事故が怖いから車には乗らないようにしよう。的な極論です。確かに車で事故りたくなければ、車に乗らないという選択もできますが、それを「自信」とか「うぬぼれ」といった目に見えないものでやらかしたのが鳥頭でした。

 

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華の高校生活で「自信を持たない、うぬぼれない」とあさっての方向の決意を掲げた鳥頭につっこみを入れてくれる人は当時いませんでした。というかそもそもアウトプットしなかったせいでみょうちくりんな生活を送る羽目になりました。完全に自業自得だわな。 

 

自信を捨てたらイップスになった

それはさておき。

鳥頭は高校の部活でソフトボールに励んでいました。中学は全然違う種目をしていたので、高校に入ってからはじめての試みでした。

 

滅茶苦茶楽しかったんですよね、それが。進学高なのに部活をしに学校に来てるんじゃないかってぐらい。同級生も先輩も後輩も先生も好きだったし、何よりソフトボールがおもしろかった。

 

中でも打撃に関してはなぜか知らないけど、上達速度がすごかった。今思い返しても「才能あったんちゃうか」と思うレベル。顧問の先生も「うちの五番、高校から初心者でソフトはじめたんですよ」みたいなことをよく他の学校の顧問と話していたようだし、小学校からソフトをしていた人よりも飛ばす力はあったし。スペランカーじゃなかったらプロも行けたんちゃうかと言われることもあったし。今考えても惜しいなと思うぐらいの打撃センスで、急激な速度でスキルを上げていった。

 

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で、そんな管理人の掲げていたスローガンは「自信を持たない、うぬぼれない」。

 

ちょっと人から認められたり、結果が出たりするたびに、いい気になることもあったんですけどね。その度に「は!いかんいかん!自信持つとこだった。危ない危ない」ってすぐに自信のない子に戻ったんですよ。今なら言える。あほか自分。

 

誰かから認められるたびに。打率を上げる度に。育まれる気配のある自信をすぐに捨てた。劣等感にしがみ付いて、自分には自信はいらないのだと言い聞かせ続けました。あほだ自分。

 

周りから見ても不可解だったと思います。技術を上げて、数字を出して、認められても、まだ足りない、全然追いつけない、とひたすらに練習に打ち込む姿は、ストイックを通り越して狂気の沙汰だったんじゃないかと。

 

「自信持て」と言われ続けたのに「無理っす」と逆方向に突っ走るチームメイトに不可解な印象を抱きつつも、まあちょっと変わったやつなんだな~くらいの認識で受け止めてくれた周囲の人たち。菩薩かよありがとう。としか思えねえ。

 

そんな感じで貫いてきた「自信を持たない、うぬぼれない」 というスローガン。しかしやがて転機が訪れます。

高校二年の秋、イップスを発症しました。

 

自信と過信、自分を信じることとうぬぼれることに向き合う

イップスとは精神的な要因により、思い通りのプレーができなくなる運動障害だそうです。

 

ぶっちゃけこんな意味のわからんスローガンを掲げててこれまで発症しなかった方が不思議だと思います。いろいろ精神に負荷を与えることで、当たり前のようにイップスを発症し、これまで経験したことがないような絶不調を迎えました。

 

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当時は新チーム結成してから二度目の大会を控えた時期。先輩達の引退後は、打撃センスを買われて、打線の中でも主軸を任されていました。5番打者。ポイントゲッターが大会前10試合やっても一本もヒットが出ない事態に陥ったのでした。 全く言わんこっちゃない。

 

自分の掲げたスローガン、それに向き合わざるを得なかったわけです。 

  

自信とは向上心のもと。うぬぼれとは慢心のもと

そんなこんなで、「自信」と「うぬぼれ」の定義について再度しなおしてみました。

 

スローガンでは「自信」と「うぬぼれ」それぞれがもたらす結果に焦点を当てたのにたいして、今度は過程に焦点を当てて、それぞれの言葉を定義してみました。

 

自信とは、自分のモチベーションを高め、向上心を生み出すもの。

うぬぼれとは、相手を見下すことで慢心し、現状維持をもたらすもの。

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自信ならば、やる気が湧く。

うぬぼれならば、怠け心が湧く。

 

自信ならば、行動できる。

うぬぼれならば、現状維持でいいやと思う。

 

自信ならば、尊敬する。

うぬぼれならば、軽蔑する。

 

自信ならば、向上心が出る。

うぬぼれならば、慢心が出る。

 

「自信」は自分を高めていくもので、「うぬぼれ」は自分を落とすもの。個人的にしっくり来ている定義です。 

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「自信」って自分を信じるとかそういう難しい話じゃなくて、自分の背中を押してくれる意志のようなもののひとつなんじゃないか。逆に「うぬぼれ」は前に進もうとしている自分をその場に縫い留めることそのものじゃないか。

 

その高校生はそう結論付けたのでした。

 

そっか自信、持っててもいいんだ。

そこでやっと人からの評価を素直に受け取ることができたんですね。これは怖くない。自分をどん底に突き落とすものじゃない。そう思うだけで心がすっと軽くなりました。

 

少しずつですが、イップスが良化していったきっかけの一つが、この「自信とうぬぼれの再定義」だったんじゃないかと自分では思っています。

 

自信を捨てることで、本当の自信が何かわかった

なんとかイップスを克服した後、チームはどうなったか。

・・・嘘みたいな話ですが、最後の大会ではまさかの決勝まで進むという快進撃。初心者の寄せ集めのチームが、自分達でも意味のわからない激戦を繰り返し、強豪校を破りました。聞くところによると今は最強の世代として、卒業高校の後輩からは認識されているとかされていないとか。

 

後輩達もこんなわけのわからんスローガンに真面目に取り組む、わけのわからん先輩がいたなんて思ってないだろうな。。

 

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管理人も当たり前のようにソフトボールを引退。それと同時に故障していた右肩と左肘の炎症がえらいことになっていることに気が付き、プロどころか、自分の腕の重みで肩が痛いという情けない現状に落ち着きました。まあソフトボールはもうできないだろうけど、後悔はしてないよ。決勝戦ではまさかのラストバッター。引導を渡された立場であるけども、最期まで試合を全うできたこと誇りに思ってる。

 

そして、失意の中で見つけた本当の「自信」。 

 

 これに気が付けたことが自分にとって大きいことでした。腕一本犠牲にはしているのかもしれませんが、それを加味しても一つの後悔もありません。

 

なんだか経験談ばかりの記事になってしまいましたが、なんとなく書きたくなって書いた。後悔はしていない(犯行動機風)。自信とうぬぼれの違い、というふわっとしたテーマでしたが、何かの参考になれば幸いです。 

 

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