鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

コミュ障がコミュ力欲しさに見ず知らずの人に話しかけにいった結果

 

「人が怖い」「コミュ障」「人見知り」を克服する方法がわかった話

突然でだけど、人って怖くない?

 

鳥頭は人が怖い。ガチコミュ障である。

小さい頃から相当ひどくて、人(特に男性)を見るたびカッチンコッチンに固まって歩くこともできないぐらいの人見知りだったと母は今でも懐かしそうに笑う。基本的に6歳以上60歳以下の男性は父親以外受け付けなかったらしい。視界に入るだけでもう何もできなくなる。そんな人見知りが服着て歩いてるような子供。ろくに外出もできないガキんちょだった。

 

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母親は「人見知りだった」と過去形を使ったが、ほんというと今もそう。流石に職場とか学校とかで石になることはないけど、めちゃくちゃ人見知り。同期や友達にそんなことを話すと「うっそだー絶対んなことないわー」的なリアクションされる程度には自分を叩きなおした管理人だが、それでもまだフリーズしてしまうときがある。

 

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「コミュ障」に向き合う決意をした話

現状ぎりぎり社会適応者として生きてはいる。

それについて「人見知りを克服した」というよりも「大丈夫!自信もって!相手はただの人だ、いきなり殺そうとはしてこない!死ななきゃ易いよ!頑張れ!アツくなれよ!!」と自分にひたすら言い聞かせることが習慣として身についた感じ。

「人見知りでない演技」をすることがうまくなった、という評価に留まっている。自己紹介するならば、今も昔も一歩も変化しない人見知り野郎である。

 

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もちろん回数会うことで慣れることも多い。経験が積み重ねてきた分、平気な状態というのもちゃんとある。もしろもっと人と一緒にいたいと思うこともあるのだ。しかし一方で昔は大丈夫だった女性への人見知りが発生するなど、ちょっと変わったが変わっていない、悪化と良化をあわせるとブラマイゼロ、みたいな、そんな状態。

 

「これはもう墓場までお供される性分だな」ととっくに諦めていた管理人。 コミュ力が伴わなくても演技力でカバーできるならまあいいかと思っていた。

 

そんな中偶然会った友達から言われた言葉がある。

「鳥頭ちゃんって自分を誤魔化す癖みたいなのあるよな、昔から」

ぐさあああ・・・

「自分が望んでないことも、なんか無理矢理こじつけして、無理矢理肯定して、うんそれでいい、間違ってないって言い聞かせるとこあるよ。悪い癖じゃね?」

ぐざぐざあああ・・・

 

とりあえずホールドアップ。鳥頭のライフはマイナスよ。豆腐メンタルをブルドーザーで踏み潰しにかかってるよ。

 

まあでもその通り。以前上司(犠牲者)からも「鳥頭ちゃんって建前で生きてるよな」と指摘されて感づいていたけど思ったより不特定多数から指摘される。まずい。

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言葉が刺さるのは、傷ついたからじゃない。図星だったからだ。

 

現状なんとかなってるからいいや、と思っていたことを自覚させられた。実際、演技力でコミュ障やら人見知りやらをフォローできればそれでいいんじゃね?と自覚してなお思う。

けれど、目の前にそびえる壁をいつも回り道で回避してきた身として、ぶつかっていってはじめて見えるものもあるのかもしれないよ、それが自分をちょっとはマシな鳥頭にしてくれるかもしれないよ。というかチャレンジ精神を忘れた鳥頭なんて、ただの鳥頭だかんな!という自分の中の謎罵声によってとりあえず、コミュ障そのものにぶつかり稽古と洒落込んだのだった。

 

 

「自分のことを話す」ことで対人恐怖症(仮)は改善するのか

コミュ障を叩きなおすことについて、具体的にどうすればいいか。

 

自身の「ヒトコワイヨ」という感情を、「コミュ障」だとか「人見知り」とか適当に呼んでいたわけだが、これはどういった現象なのか。

いろいろ調べてみた結果、どうも対人恐怖症に近い症状であることが判明した。おおう、まじか。※対人恐怖症について、診断は受けていないため、症状が似てる!なら対処法使えるか?!というノリで引用しています。

人が怖い心理や原因と克服方法6つ

www.officet-hc.com

 

上記のサイトによると自分のことを少しずつ話す経験を重ねることが、「ヒトコワイヨ」という感情に打ち勝つ手段になるという。確かに自分の頭の中にあることを話すのはめちゃんくちゃ苦手だわ。

しゃべる→ぐだる→相手退屈→焦る→空回る、という流れが嫌過ぎて、相手に話させようという方向にシフトしてしまいがちな自覚はある。逆に言えば、今まで回避してきた「自分のことを話す」ことができるようになれば何か変わる気がする。

 

ということで今回のテーマは「コミュ障(もとい対人恐怖症っぽいなにか)を克服するために知らない人に自分のことをお話する!」という原点にして迷子なことになりました。

 

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「よし、見ず知らずの人に話しかけてみよう」

 

決意からコンマ何秒で出てきたこの結論に違和を唱えてくれる人などいない。さすがに通りすがりの人にいきなり声かけまくって職質されるのも遠慮したかった。

というよりも道端で出会った人に声を掛けたとして本当にコミュ障を叩きなおせる糸口が掴めるとも思えなかった。できればそういうコツを「ggrks」以外の言葉で伝えてくれる人がいるところに飛び込むべき。

 

「よし、銭湯いこう」

 

今なら 言える。どうしてそうなった・・・。

 

 

見ず知らずの人に話しかけることで気が付いたこと

 平日の銭湯は空いた時間を狙ってきたのであろうマダム達がうろうろしていた。最近寒い日が続いていることや、家ではシャワーオンリー派閥なためうきうきしながらその中へと踏み入ったのだった。久しぶりの大浴場が嬉しすぎて目的を忘れてかけていたのはご愛嬌。

 

※一応ですが管理人は女です。戸籍上女子とか避雷針系女子とかいろいろ評されるけど一応女子です。マダム集団への突撃は合法です(?)

 

とりあえず目的完逐をと周囲の観察をしはじめる鳥頭。

 

改めて聴覚に意識を持っていくと、しゃべり声が聞こえること聞こえること。やっぱ関西のおばちゃんにはコミュ障とかいねーよな。いたらいたで天然記念物だよな。と思うぐらい聞こえてくるしゃべり声。人が怖いとかいう感情をそもそも共有できるのが不安になってくる。

 

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もうこれは観察する必要は皆無。というかこの人たちに弟子入りすればコミュ障は勝手に治るんじゃないのかい。そんな予感すら漂います。ここにきてまさかの自然治癒ワンチャン見えてくる。

 

そんなことを思っていても仕方ないので、とりあえずお一人様マダムに弟子入りしにいった。

 

鳥頭「どうも。こんにちは」

マダム「あぁ、こんにちは」

鳥頭「こんにちは、ここいいですか?」

マダム「ええよー」

 

表面上はニコニコ穏やかな会話。鳥頭は小学生の頃ミュージカルやってた経歴もある。今日も演技力は自分をしっかり守ってくれる。

たとえ内心が(ひえええ、まじで話しかけてやんの、この鳥頭!荒療治にもほどがあるだろうが!やばい会話するの怖い!人怖い!いや、銭湯だし刺されはしないんだけど!いや銭湯じゃなくても高確率で刺されたりはしないんだけど!それでも死にそう!緊張でショック死とかワロエない!つーか自分から話しかけといてめんどくさいな鳥頭よ!!)だったとしても。

 

 というわけで早々に表面上アイスブレイク(笑)を完了させた管理人は鉄の仮面をフル稼働させることで「ヒトコワイヨ」をひた隠し、マダムとの会話を楽しむことにした。

 

鳥頭「ねえマダム、私の話聞いてくれます?」

マダム「え?うん、かまへんよーどうしたん?」

鳥頭「人と話すのが苦手なのをなんとかしたいのよ」 

 

そこからぽつぽつ自分のことを話していきました。とんでもない巻き込まれ事故に遭遇するマダムに申し訳ないと思いながらも、とっかえつっかえしながら自分の考えていること、思ったこと、言われたこと、そんなことを話していった。贔屓目に見ても、うまくは話せなかったと思う。そこでいくつか気が付いたことがあるのでそれを書いてみる。やっとこの記事の本題。いやあ長いw

 

※ちなみにここでマダムから深イイ助言を頂きます。それに関しては別の記事で掲載予定※

 

追記:深イイ助言のお話書きました。

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人と話すのが怖いから自分の話をしないんじゃない。自分の話をしないから人が怖いんだ。

 3分ぐらいの間、自分の心のうちを話してみた。マダムは適当に相槌を挟みながらも鳥頭の拙い話を聞いてくれた。

 

ふと話を切ったとき、アイスブレイク(苦笑)のときに感じたヒヤヒヤ感が綺麗に消えていることに気が付いた。隠していた動揺も、人への恐怖心も、いつの間にかどこかへ消えた。

 

話すことに必死すぎて意識が飛んだのかとも思ったがどうも違うようだ。話し始めた直後よりマダムに親しみを覚えるし、居心地もいい。知らない人で怖いはずなのにそわそわしない。

 

自分の話をしたから、かな。

 

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自分で立てた仮説だけど。

「自分の話を人にするのが苦手」という意識がなぜできたのかを考えてみると、自分のことなのにうまく答えられなかった経験があるからではないかと思う。

 

「あなたはどうしたいの?」

「やりたいことないの?」

「いつもどんなこと考えてんの?」

「何が好きなの?」

「何が楽しいの?」

「どうしてそれを選んだの?」・・・

 

それを聞かれるたびになんと答えていいかわからず萎縮して。ありのままを説明すればいいと開き直って言葉にしても、言葉にしきれなかった部分があることが気になって。結局「なんとなく」という当たり障りのない回答に落ち着いてしまって。言葉があふれてくるのに何一つ実体を持たせてやれない自分に嫌悪して。

 

そんな経験を通して、気が付いたら「自分のことを話すのが苦手」「人が怖い」という感情が残ったのだろう。

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それはいわば後だしじゃんけんのようなもの。答えられる人は出した結論に対して、どうのこうの答えられるのだろうけど。管理人はそれをうまくアウトプットできなかった。そんな経験を重ねながら生きてきた。

 

「自分の話テロ」はまず、自分が思っていることを話すことから始まる。

 

人が怖いという感情に対して、「いや、怖いっていっても誰にも今まで刺されたことないしww」という感情も「怖いと思わない人もいるわけだから、一概に人が怖いとか断定するのもどうなの?ww」という感情も「んなことどうでもいいからラーメン食べたい」という感情もすべて存在を肯定し、その上でまだ「人が怖い」って思う。

そんな感じで結論を持っていくことができる。自分の中にある全部の感情、矛盾を、肯定できる。

 

それが居心地がよくなった理由なんじゃないか。

人と話すことが怖いから自分の話をしないのではなく、自分の話をしないから人が怖いと感じるのではないか。そう思った。

 

 

「人が怖い」という感情の正体と克服方法

今回、自分の話テロを通じて自分の話をして。「ヒトコワイヨ」の感情の実体に触れられた。

 

「人が怖い」わけじゃなかった。

「自分の話をするのが苦手」なわけでもなかった。

 聞かれたことに対してちゃんと答えられない自分が嫌いだったのだ。

 

 言ってみれば自己嫌悪。それを「ヒトコワイヨ」という感情に置き換えていたらしい。心理学用語でいう「防衛」ってやつだな。

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鳥頭のコミュ障は、「完璧に言葉で自分の心のうちを説明することは無理」という暗示をかけることからはじめていかないといけない気がした。言葉で自分の心を書き出さないと何を考えているのかが自分ですらわからなくなる、というジレンマとの戦い。それがやるべきことなんじゃないかな。

 

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