鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

自分の価値観で生きられるようになる、たったひとつの方法

 自分の価値観って意外と自分では決めてないんだよなっていうのを『親は100%間違っている』を読破して、自覚しただけの記事。

 

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他人の価値観でみんな生きている

 今、自分はどれほど多くのものに囚われて生きているんだろう。

本書を読破し、本を閉じた瞬間、そんな疑問が頭をもたげた。

 

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よくよく日常を振り返ってみれば、自分の中にも外にも、自分以外の「価値観」がはびこっていた。

「平均ならば」「普通は」「みんなが」「ほとんど」会話の端々に見える小さな言葉は自分のものではない。世間が決めた尺度だ。みんな同じような物差しを持ち、今日という日を生きている。その中に自分という人間もいる。当たり前のものを基準とし、それと比較し、どれだけ一致しているかを計られる。

 

管理人はそれを既に少しだけ知っていた。

 

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価値観に疑問を持つのは想像以上に難しい

・・・個人的なことになるけど。

管理人は一人暮らしをしている。あと三ヶ月でその暦は三年。初心者マークは外れる位置にはいるつもり。

 

最初は毎日三食自炊してた。決めたことはきっちりやる、決めてないことはどうでもいいという緩急あるタイプだと自負しているが、自分の食生活に関しては「急」の部分に当たることだったらしい。

わりときっちりした生活をおくっていた管理人。特に面倒だと思うこともなかったが、あるときふとこんなことを思う。「あれ、これって三食食べずにでも生きていけるんじゃね?」・・・もともと朝の忙しさを解消する方法を考えていたのだと思う。それを考えているうちに「食べなければ万事解決」という元も子もない結論に行き着いたのだ。結論が出たならば即実効、そういう経緯で朝食がなくなった。やってみた感想としては、まったく問題なく生きていけた。むしろ好調なぐらいだった。

 

そんな生活を続けていくうちにまたふと思った。「あれ、これ昼ごはんもいらないんじゃね?」そんな思いつきとともに昼ごはんが消えた。帰宅する時間にもよるけど、大してしんどいと思わなかった。「空腹」と「空腹感」というものが全く別物であり、あれだけ必要だと思っていた三回の食事は何を根拠に回数や時間が決まっているのかわからないことに気が付いた。なんで今までそんな疑問を持つこともしなかったのだろうと不思議だった。

 

「捨てる」ことではじめて変われる理由

この本の言葉を借りれば、経済的に自立をきっかけに洗脳が解けたのだろう。「人生変えてーわ、環境変えてーわ」ってなったから一人暮らしをしたわけではないけど、自分が本当に必要とするものだけを生活に残す、そんな姿勢で物事を考えることが少しだけできるようになった気がする。完全に偶然だぞ

 

本書の中で筆者様は言います。『自分を変えるのではなく環境を変えろ』と。

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管理人は一度実家の環境を捨てた。捨てることにより、やっと今の価値観に疑問を抱くことができた。この疑問を持つのにも一年近い時間がかかった。それまで、毎日三回食事をするということに少しの疑問も持たなかったことから考えて、外から刷り込まれた洗脳というのは予想以上に自覚が難しいのだと思う。

 

 これに気付くことこそ「捨てる」ことの意義。

 

そうでもしない限り、人は洗脳から逃れることはできないのかもしれない。

変われる人と変われない人。その違いは捨てられるか捨てられないかが分岐点となる。

 

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