鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

いじめって「みんな仲良くすること」を目標にしていることが原因で起こるんじゃないの?

 

先日妹が泊まりにきました。

妹は今障害者の学校の先生を目指して勉学に励んでいる真っ最中のどこにでもいそうな女子大生です。

 

教育とは何か。障害とは何か。学校とは。教師とは。そんな難問に日夜立ち向かい、人としての有り方を考え行動している、我が妹なのにすごいやつなのです。

 

以前は「障害は個性」という風潮に対して考えるきっかけをくれた妹でしたが(詳細は下記記事)今回も思わず唸ってしまうような経験をしてきたらしく。また興味深い話を聞かせてくれました。

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「いじめたくないから関わらない」とある小学生が行ったいじめ対策

休みを利用して県外までボランティア活動をしているという妹。

その中で子供と関わる機会が多いようです。話の内容は、ボランティア活動中に起こったことでした。

 

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とあるクラスの児童達と活動している中で、明らかにみんなの輪に入れない子供がいました。

仮にAちゃんとしておきます。傍目に見ても少し変わった子だと妹は感じたようです。

妹曰く「なんかちょっと言動が浮いてる」とのこと。

 

そんなAちゃん、やっぱり周囲から孤立しているようでした。

様子を見るに一人でいたいから孤立しているわけではなさそうだと妹は感じたようでした。浮かべる表情も少しさみしそうで、輪に入れないこどもそのものだったといいます。

一方、他の児童はそんなAちゃんの様子をあえて見ないようにして集団で遊んだり、しゃべったりしていました。

 

「これいじめってやつ?」

そう勘付いた妹はAちゃんに何気なく話を聞いてみたのでした。

 

「みんなと仲良くしてもらえない、どうしたらいいのかな」

妹にAちゃんはこう打ち明けたようです。少し雲行きが怪しくなってきたなと思った妹は、他の児童から「なぜAちゃんと仲良くしないのか」聞いてみたという。

 

「Aちゃんってなんかちょっと違うから」

「たまにいらっとすることを言ってきたりする」

「ちょっとペースが合わない」

返ってきたのはこんな解答でした。そんな中、混ざって聞こえたこの言葉に、妹は動きを止めたといいます。

 

「Aちゃんといたら気分が悪くなる。けどいじめたくはないから距離を置いてる」

 

 そんなこと言わないで、と妹は言いかけて、はたと言葉を飲み込んだらしいです。

 

「Aちゃんをあえて無視してるその子らをな、賢いなって思ってしもたんよ」

妹は感情を抱えきれないと言わんばかりにため息交じりにそう零しました。

聞いていた管理人も同じ感想を抱いてしまいました。

 

 

いじめに正義も悪も、被害者も加害者も存在しないと思う

昨今、大きな問題になっているいじめ問題。

あちこちで多くの議論がなされ、いじめの主犯や学校を糾弾する風潮になっています。

そんな中、管理人も妹と話す中で「いじめってなんだろう」という疑問に関して向かい合ってみました。 

 

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いじめの問題をニュースで取り上げるわが国にっぽん。

評論家が難しい顔で最近の教育事情や学校問題について話したり、キャスターが感情を露にいじめる側を批判したりしているのを見ていて、至極違和感に襲われるのは鳥頭だけでしょうか。

 

「いじめる側が絶対悪い」

「いじめられる側にも問題がある」

現場見てないのになんでそう言い切れるの。いじめられた人もいじめた人も知らないくせになんでいい悪いがわかるの?

 

「すべて学校の責任」

学校以外でいじめがないみたいな言い方だな。会社でもご近所でもママ友でも、いじめって発生してるよな。学校が正しくなればいじめってなくなると思う?

 

「子供は純粋だから、相手を平気で傷つける」

大人が平気で人を傷つけない、みたいな言い方じゃないか、それ。

 

 

仮に自分が子供で、周りでいじめの問題が起こってニュース沙汰になったらどう思うのだろうかと想像してみた。うん、一瞬で鳥肌が立ったよね。

 

「あんたたちに何が分かるんだ」

被害者であっても、加害者であっても、同じことを思うでしょう。

状況も、いじめた人もいじめられた人も、環境も。何も知らない人が、勝手に掲げた正義を振りかざすことも。理想を押し付けてくることも。罵倒してくることも。優しい言葉で庇い立てることも。鳥肌が立つほど嫌だ。そう感じました。

 

Q、じゃあどうされれば満足なのよ

A、ほっといてくれ

 

いじめの問題って結局のところ人間関係の問題です。

教育問題や子育ての問題にすりかえられたりもしていますが、結局は人間関係。そして人間関係問題って大人でも子供でも、一番デリケートな問題なのです。他人に土足でこんにちはされることに不快感を抱かない人間はいません。

 

いじめの問題に、少なくともどちらが正義、どちらが悪みたいなわかりやすい話ではなく、それぞれに言い分があります。

明確な悪によって生じるものではなくて、「悪ではないもの」同士の関係が歪むことによって発生するものだと個人的に考えます。

 

 

「人が嫌い」その感情を肯定できないことがいじめを産む

その前提を崩さないように、「いじめってなんだろう」っていう疑問を妹と考えてみました。

 

一晩かけて出た結論がこれ。

「みんな仲良くしなけれなならない」という意識がいじめを引き起こす。

 

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いつから身につけたかわからないけど、ある年齢から急に「大人な付き合い」っていうのができるようになりました。

 

それまで仲良く、フランクに、でも礼儀正しく、余所余所しくないように。といろんな制限をかけながら人間関係を構築してきたところある種、我慢の限界のようなものがきたのでしょう。「もういいや」と急にビジネスライクな付き合い方になります。

すると人間関係がすごく楽になる。そんな経験、みなさんにはなかったですか。

 

人間関係をうまくやっていくコツを聞かれれば、鳥頭は「距離感」と答えます。

人と人が関わる上でしっかり距離を取る事が自分にも相手にもストレスを与えない方法なのだと経験から悟った過去があります。

「無理矢理仲良くしないこと」これが大人な付き合いの基本だと考えます。

 

それを鑑みて、子供の人間関係を考えてみると、その環境はなかなか苛酷です。

 

「友達100人できるかな」「みんな仲良く」「人のいいところを見つけよう」

そんな言葉を最初に言い聞かせられる学校生活初頭。人を好くことはいいことで、人と仲良くしなければならないと物心ついた直後に教わります。

それは言外に「人を嫌うことはだめ」ということと同義。学校に通うようになった児童はそう洗脳をされながら日々を送っていくのです。

 

しかし、毎日の生活で「人を嫌わないで生きること」は難易度が高いこと。

現に大人になる過程で「嫌いな人といかにうまくいきていくか」というテーマに立ち向かうことってよくあるんじゃないでしょうか。

 

嫌いになってはいけないのに嫌いになってしまった。

ここに「仲良くしなければならない」という義務感と「あいつが嫌い」という感情のジレンマが発生します。

本来であればどちらもあっていいものなのだけど、子供はそんなジレンマに対してうまく折り合いが付けられない。それ故にストレスが溜まり、ストレス故に攻撃性が高まるのです。

 

「こんなにイライラするのはあいつのせいだ」

これがいじめの最初ではないでしょうか。

 

少しだけうつ病の予兆と似通ったところがあるんですよね。「~すべきだ」という価値観を自分に課した上で自己嫌悪とか失望感とかの感情に苛まれて自分を傷つけてしまうあたりが。

攻撃対象が他人に向いたらいじめで、自分に向いたらうつ。その程度の違いしか実はないのかなと思ったりもします。

 

本来であれば「あいつが嫌い」という感情をちゃんと正当化するべきなんですよね。

 

人を嫌いになるなというのは無理な話。

人の感情の問題に理屈でどうこう言っても結局は抑圧しているだけ。嫌いという感情がなくなったわけではないのです。

本来ならば一番大事にしなければいけないのが「嫌い」という感情なんですよね。

 

 

 

「みんなと仲良くしなくていいよ」いじめが耐えないからこそ伝えたいこと

「Aちゃんといたら気分が悪くなる。けどいじめたくはないから距離を置いてる」

 

 こう妹に言い放った子供は、小学生なのにすごく賢い。

賢い理由は「行動に起こさないことを徹底していること」と、「嫌いという感情を正しく自覚していること」のふたつです。

 

嫌いという感情にかまけていじめに走ることを自制しています。感情に流されることなく、やってはいけないラインを見極めて、自分の感情をも否定しないようにというスタンスをとっています。すごいバランス感覚ですよね。。

 

この話を聞いたとき思わず「それ、ほんまに小学生の話?」と妹に聞き返してしまいました。

大人になってやっとできることをしれっとやってのける当たり、自分が思っているより子供って成熟している存在なのかもしれません。

 

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このクラスでは恐らくいじめは起こらないのではないか。個人的にそう思います。

 

でもいじめの定義って人それぞれで、Aちゃんがこれをいじめと認識し訴えたなら、この状況もいじめになってしまうのでしょう。

縁起でもないけど、これでAちゃんが死んでしまったりしたら世間はこの子供も容赦なく責めるのかなと思うと少し背筋が冷たくなりました。

 

「仲良くしなければいけない」という思いはちゃんとスタート地点では持っていたはずなのに、それが二転三転していじめになってしまっているのであれば、それって悲しいことです。

なら最初から「仲良くしなくてもいい」という選択肢があってもいいのになって今の立場になって感じます。

この賢い小学生のように自らその結論に行き着くことができる子供って少ないです。だから誰か言ってやってくれないかな「無理して人と仲良くする必要はないよ」って。

 

いじめられている子供を見るのは嫌だ。でもいじめている子供も、いじめられない立場を必死で争奪している途中。その立場に意地でも縋り付きたい気持ちが見え隠れしていてこちらを見ているのも同じぐらいしんどい。

 

 イマイチ何が言いたいのかわからない記事になってしまった。。

けれど、自分なりに「いじめってなんだ」っていうことを突き詰めて考えるいい機会になった。せっかく文章を書いて発信しているので、誰かに何かを考えさせるような記事が書きたかっただけ。

 

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