鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

「デスノートに名前を書くぞ」 小学校講師が児童に発言~振りかざす正義と失われる心~

ちょっとばかし引っかかったことがあったので走り書く。駄文注意報。

 

www.huffingtonpost.jp

デスノートに名前を書くぞ」 小学校講師が児童に発言

 福島県田村市の小学校で、30代男性の常勤講師が児童4人に対し、「デスノートに名前を書くぞ」と発言していたことが12日わかった。「デスノート」は人気漫画で、ノートに名前を書くとその人物が死亡するという設定。学校は不適切な発言だったとして、保護者に謝罪した。

 市教育委員会によると、男性講師は昨年11月下旬~12月上旬、4年生と6年生の計4人に対し、授業で使っていた私物のタブレット画面に「デスノート」の表紙を表示させ、「名前を書くぞ」と発言したという。

 男性講師は発言について「児童を集中させるよう注意するものだった」と学校側に説明。「子どもが関心を持つと思ったが、反省している」と話しているという。昨年末に児童の担任教諭が発言を把握して問題が発覚。校長は男性講師に厳重注意しているという。

 

 

デスノートに名前書くぞ」を率直に「死ね」と翻訳した保護者からのクレームかな。デスノートは管理人が小学校高学年あたりから話題に上がってきはじめた作品で、中学のときなんざ「あー、お前の名前めっちゃデスノートにしゅーしたいわww」なんて日常会話にぽんぽん出てきたものだから、今正直な感想を言えともなると「ちょwwアウトなのこれw」と甚だ重みに欠ける発言を咬ますことになる。自重する(手遅れ)

 

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この教師の言動のナニが問題だったのか

実際の細かいやり取りが記事の内容から読み取れないからわからないけれど、「この先生めっちゃユーモラスやん」と暢気に思う。やかましくしている生徒に静かにしろよ、とそのまま言うのではなく(言ってたのかもしれないけど)タブレットでわざわざデスノートの表紙を表示させ、注意喚起(?)している。空気を悪くしないように、かつ生徒の注意をこちらに向けさすのにはいい工夫だと思った。言うこと聞かないと「ちょんめのこ呼ぶぞ!!」と祖父から謎の脅しを受けていた管理人だが、同種のものとして現代的なセンスを感じるしね。そしてじいちゃんよ、ちょんめのこって一体なんなの。そして幼い鳥頭は何をそんなに怖がっていたの。

 

 

学校叩きは仕方ない、不信が募るのは当たり前

この問題の変なところは、たかだかこの程度の発言が全国ネットに報道されていることだと思う。

 

こういう発言が発覚するのはだいたい子供が家で「今日はこんなことがあってねー」と話をすることが多い。親がそれに対していきり立ってクレーム、という流れになるんだと思う。

 

学校という場所は散々いろんなものを抱えている。生徒の自殺問題が相次ぎ、いじめ問題が途切れず、体罰問題まで出てくる。叩けば叩くほど埃が落ちる。そんな組織だという認識をもたせるに十分な出来事があった。そしてそれが発覚してもなお、わが子を学校へ送り出さなければいけない親の心配を極限まで膨らましている。親がある程度、教師に対して不信感を募らせたり、伺うような動作があることは仕方ない。

 

管理人が高校生だった頃、近隣高校で生徒が自殺した。他校ということで詳細な情報は得られなかったが、どうやら部活内のいじめによることだったとのこと。噂によるとその高校に縁のあるある国会議員がその問題を有耶無耶にしたらしく、その出来事はニュースにすらならなかった。結局その後の情報についてもわからず、調べた情報の真偽も不明。確定している出来事としては、自分の高校の同部活の部員にも口止めするように顧問の口から指示があったということだけ。自殺した生徒と同じ学校、同じ学年に、管理人の妹がいた。ただ、心配だったことをよく覚えている。中学でその生徒と面識があった友人の暗い顔もよく覚えている。たぶん、わすれない。

・・・後日この記事が削除されていたらお察しください、だな。

 

学校に対して、不信感を持つこと。それ自体は仕方ないと思う。人が集まるところにはきな臭さの一つもある。自分の身を守れるのも自分だけだし、学校に敵意を向けてでも子供を守ろうとする姿勢自体は肯定されていい。

 

 

教師ってどんな仕事よりも難しい

そう思う一方で、教師が社会的弱者にカテゴライズされてきている感も半端なく感じている。

 

政治家の如く発言に気を遣い、親に気を遣い、生徒に気を遣い、神経を磨り減らして仕事をしている教師。指導力だとか、強制力だとかを発揮しなければいけない教師という職。その立場をして、気をつけるべきところ以外でも様々なことを言及され、遠慮と考慮を繰り返すその姿勢は子供たちからどんな風に見えているのだろう。

 

ほんとうはもっと生徒に伝えたいこともあるんだろう。ほんとうはもっと成長して欲しいという願いもあるだろう。けれど、それをするには多くの「タブー」に触れないように細心の注意を払わないといけない。運動会で順位をつけることにすらクレームをつける親がいるぐらいだ。そのタブーは道を遮る蜘蛛の糸のように付け入る隙を与えない。結局、労力だとかめんどくささが勝り、引き算して残るのは「何もしないこと」。

 

そして何もしなかった後、いじめ問題などが発覚すると「教師は何をしてたんだ!」もうこれカオス以外のナニモノでもないよな。

 

いじめなんて教師が気付くことでどうにかできるものでもないのに、それをなんとかしろ、教師だろ!の一言で哲学のような終わりのない仕事を突きつけられる。意味のわからない注文と納期で仕事ふっかけてきて、完成間近に根本からの仕様変更を要求し、納期は変更しないでね~という頭緩いこと言ってくる客よか太刀が悪い。むちゃくちゃな量の仕事を振ってきてフォローもなく「じゃあ明日朝一で提出しろよ」と定時退社する上司よか性根曲がってる。

 

そんな終わりも正解も見えない仕事を突き詰めることが教師という仕事だろ!という主張があったとして。まあそれは個人の職業観の問題もあるから深くは突っ込まないけどね。

 

振りかざした正義の看板で人を殴る人々

ちょっと話が逸れているけど。

子供のためと、学校に不信感を募らせること自体はあっていい。教師も大変だしわかってあげて!っていうための記事でもない。子供の為だと本気で思うなら学校に対して誠意を持ってクレームを入れること自体は何も間違ってはいない。親が自分が教育しなければいけないことを棚に上げているのではない限り、学校とはちゃんと対話をしないといけないと思う。

 

けれど、今回のニュースは事情が違う。

 

状況はわからないが「デスノートに名前書くぞ」っていうのはそれほどヘビーな言葉に思えない。確かに翻訳すると「氏ね」になるのだけれど、きっと現場の状況にしてはそれほど人を傷つける言葉ではないと思うのだ。これよか「はい、今から二人組み作ってー」という号令のほうが致死率高い(経験談

 

なのにこのニュースが全国ネットになっている。これは子供のことを真剣に考えて学校側に対話を求めている、というよりも「こんなクレーム入れてみたら学校はどんな反応してくれるんかな?ww」という加虐心が見え隠れしているように思う。

 

過去の失態で社会的弱者に成り代わった教師を、正義という看板を掲げ殴りかかっている保護者。管理人にはそうとしか見えない。

 

確かに間接的にこの教師は生徒に「しね」といった。褒められた言葉ではないことは確かだ。けれど本来はそれだけで終わるはずの話である。それなのに話を大きくして、学校に謝罪を要求する保護者。その影には人を虐めたいという醜い精神が渦巻いているように思えて仕方ないのだ。

 

ここまで書きながら思ったけど、一番太刀が悪いのって被害者面のうまい人間なんだよね。クレーム入れた保護者の中には子供のため以外のことを考えている人がいる。社会的弱者に成り下がった今だからこそ教師の穴をつついて攻撃したいといういじめ心を宿した人がいる。 ただ、そんな人に限って子供がいじめにあったときは自分のそういった言動を見てみぬフリをして、別の正義を掲げるのだろう。

 

正義って怖いね。

・・・いや、違うか。

正義を振りかざす人が怖いのか。 

 

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追記

このニュースみて昔読んだ本を思い出しました。湊かなえ氏の『告白』。鳥肌の立つようなストーリー展開から、冷や水を浴びせられるような方向転換まで。とにかく魅了される小説。

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