鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

誰かを守るために必要なこと~火垂るの墓が本当に伝えたかったもの~

 

夏ですね。

つい先日、十数年ぶりに、ジブリの火垂るの墓を見ました。

 

いろいろ考えるところがあったので、今日はその感想を書きたいと思います。

 

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昔は、ただ「かわいそう」な映画だった

管理人が火垂るの墓をはじめてみたのは確か小学校の3・4年生ぐらいだったと思います。干支が軽く一周する程度の期間は経っています。

 

それでも当時の衝撃をなんとなく思い出せます。

 

見ていて心が痛かった。

体のどこかが張り裂けそうだった。

 

祖父母が子供の頃、日本は戦争をしていた。そんなこと、当時から知っていました。

けれど、何もわかっていなかった。

 

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「知っていたはずなのに、これっぽっちもわかっていなかった」

そんな実感をはじめて得たのが、火垂るの墓を見た時でした。

 

節子がかわいそうで。

清太が健気で。

 

いじわるなおばさんのもとに行ってしまったがために、死んでしまった悲しき兄妹の物語。痛ましい戦争の一部分を描いた悲劇。。それが小学生のときに抱いた感想でした。

 

 

結果的に清太が節子を殺した??

17年の年月を経てみた「火垂るの墓」。

 

過去に抱いた感想を思い出しながら視聴していましたが、見終わったとき「これ、清太があかんかったんじゃね???」と子供の頃とは正反対の感想を抱きました。

 

空襲後、節子の面倒はみていたものの疎開先のおばさんの手伝いは何もしなかったり、働くという選択肢が思い浮かばないかのように振舞ったり、居心地が悪いという理由で疎開先を出るという選択をしたりと「妹を守る」ためにはならないであろう行動を取り続けている様が気になりました。

 

設定によると清太は14歳。

 

母親を失った失意の状態で逃れてきていることは考慮しても、彼の行動に「これじゃない感」を抱かざるを得ませんでした。

 

「火垂るの墓」は不安から逃れるべく現実逃避した清太が引き起こした悲劇

恐らく、清太は自分自身が生きるために精一杯だったのでしょう。主にメンタル的な意味で。

 

残された妹を育てていかなければならない。

父も母も帰ってこない。

どうやって生きていけばいいのかわからない。

 

不安に飲み込まれた、一人の少年として、現実逃避するしかなかったのではないか。そう思わないと辻褄が合わなさ過ぎるとすら感じました。

 

妹を守る以前に、自分を絶望から守れなかった。だからこそ、誤った判断をしてしまい、現実逃避に気が付かないまま妹を失うことになりました。

 

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これを「クズ」と呼ぶ人もいるようです。守りたいなら働けよと、生きたいなら我慢しろよというつっこみも真っ当だと感じます。

自分が清太の立場に立っていたとしても、妹を生かすことができるかわからないので鳥頭はクズとまではいいませんが。

 

それでも、失うことに繋がる行為と、失わないための行動。この二つのうち後者を選べなかった清太を愚かだと思います。

 

 

能力もないのに自由を求めた結果

自由と責任は表裏一体だと、どこかで聞いたことがあります。本質を突いた言葉だと思います。 

 

責任を負える能力があってこそ、自由が手に入ります。

何の対価も払う覚悟がない人に、自由を語る資格はありません。

鳥頭はそう思います。

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本来の自由は、楽なものではなくて過酷なものです。

野生動物が食物連鎖の受け入れつつも、懸命に生きようとする姿勢に似ています。生きるために様々な工夫があり、リスクを受け入れながら、戦い続けなければいけないものです。それが嫌なら、不自由を受け入れ、ペットとして保護されなければいけません。

 

火垂るの墓の清太を見ていて、温室育ちのペットが、何の覚悟もなく自由を求めて野性として生きる様に似ていると感じました。

 

スキルも、情報も、覚悟もないままに、不自由を疎んで飛び出したらこうなるわな的な未来を歩んだだけなのでは?と思わざるを得ません。彼は妹と共に自由であることを選びました。けれど、彼の自由には、妹を生かすことができる能力はなかった。だから妹は死んだ。それだけの話なのではないでしょうか。

 

誰かを守るために必要なのは愛情ではなく、行動

疎開先のおばさんは、多分悪い人ではなかったのだと思います。

 

食い口が二つ増えることに対して危機感を覚えていました。それでもなんとかしようと行動してくれました。

人を生かすことがどれだけ大変かわかっていたからこそ、あのような態度で清太に接したのだと思います。それに気が付かず妹の傍に張り付き続けていた清太の愛情を薄っぺらいとすら感じます。

 

言ってることは正しかったですからね。清太が正論から逃げただけで。

 

愛情だけでは何も守れない。

これが火垂るの墓が描きたかったものなのではないか。そう思えてなりません。

 

幼い頃は反戦のための映画だとしか思いませんでしたが、大人になってから「生きる」ことに注目してしまうのはおもしろい変化だと思います。

10年あれば、人の価値観は大きく変わると言われていますが本当ですね。。

 

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