鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

アナと雪の女王 感想文~エルサにとって救いはあったのか~

 

テレビはリアルタイムではほとんど見ない派閥の鳥頭です。ごきげんよう

先日放送されたアナと雪の女王、やっと録画したのを見ました。おもしろかったですね。圧倒される作品です。今日は今更ながらその感想文。ネタバレを含みますのでこの先は「続きを読む」からご覧くだしあ。

 

 

さて、音楽、映像ともに近年で一番の見ごたえを誇るアナ雪。その辺に関しては「おおーすげーかっけー」程度のリアクションしかとれませんので、今回触れるのはストーリー展開についてです。

個人的に「んんん?」と思うところが多い作品でもあったのでそこを中心に書いていきます。

 

あらすじはこちらからどうぞ。

「アナと雪の女王」あらすじ・ネタバレ | 1分で分かるネタバレ

 

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ディズニー映画の王道を外れるストーリー展開

これまでのディズニー系統の映画と一線を画する内容だと感じた点は大きく3つ。

  • 王子様と結ばれない
  • まさかの姉妹愛エンド
  • エルサの呪いがとけない

 

「王子様」を目の前にして、結末が「姉妹愛」だったときに「そっちかい!!」とつっこんだのは鳥頭だけじゃないはず。

王子様は黒幕だったにしても、もう一人クリストフという王子様候補がいたにも関わらず、だ。親子しか出てきてないから親子愛を描きましたーみたいな展開とは違うわけで。そこに対して見ててぎょっとした人は多いと思う。

 

でも驚きが通り過ぎたあと出てきたのは納得感。「なるほど、こっちの展開のほうが好きだな」管理人はそう思った。

 

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ディズニーの王子様お姫様が出てくるストーリーって、シンデレラとか白雪姫、アラジン、美女と野獣などなど夢を見せるようなストーリー展開となっている。王子様とお姫様は結ばれてハッピーエンドを迎えました。的なおとぎ話展開ですね。

 

対してアナ雪は姉妹愛を描いた作品。その結末のもって行きかたは、まるで「王子様と結ばれることだけが幸せじゃない」と言っているかのように思いました。見ず知らずの男女が結ばれるのではなく、生まれたときから関係のある姉妹としての絆。愛を探しに行くのではなく、ずっとここにあったのに見えなくなってしまっていた愛に気付く物語がアナ雪だと思います。

 

「幸せになれない理由って幸せにしてくれる人(王子様)が見つからないからじゃないよ」「もっと身近に、最初からあなたを愛し、愛してくれる存在がいることに気付いてよ」って言われているような気がしました。

 

ピクサーが何を思ってこんなストーリー展開にしたのかまでは推し量れないけど、アナ雪が世界的にヒットした裏側にこのびっくり展開があったと思う。時代の需要に応えたエンディングだったなと。

 

 

 

現実的に「生きる」を考える

大ヒット曲「Let it go」の影響で「エルサ=開き直った自由人」の構図が出来上がってた管理人ですが、全然違うことに「ファッ?!」ってなった。

 

幼い頃に事故でアナを傷つけてしまったことから二度と同じ過ちを繰り返さないために引きこもりになった頃から自分を抑えに抑えて生きてきたエルサ。

 

久しぶりに外に出て、人前で力を使ってしまい、人の目から逃れるように山へ行ってありのままの熱唱。謎の建築技術で城建築し、一人でありのままの自分で生きることを決意します。エルサが一番イキイキした表情をしていたのがこのシーン。

 

ただいろいろあって(雑)、エンディングでは以前のように引きこもるのではなく、人の前で能力を使うエルサが見られます。ぱっとみ、アナは助かったし、町は冬からもとの気候に戻ったし、エルサは伸び伸びいろんなものを凍らせてるしで紛れもないハッピーエンド。

 

でも少しばかり違和感を感じるのも事実。これエルサ幸せなのかな?

 

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自分の存在が意図せず誰かを傷つけてしまうと知ったとき、人は大切にしたい人から順番に関係性を絶つのだと思う。エルサにとって自分の部屋に篭ることは、アナを傷付けないためにできる唯一のことだった。幼少期から成人するまでの15年間。自分の力に怯えながらエルサはその恐怖から逃げることも出来ず、一人ぼっちだった。 

 

もしこれが自分であるならばどこかで発狂していると思う。エルサが正気を保てた理由はアナを大切に思う気持ちや、自分の力を憎む気持ちだったのではないかな。絶えられないほど辛いときほど、自分がここにいる理由を何度も自分に言い聞かせる必要がある。

 

「アナを守る」

「自分の能力は恐ろしい」

「だからこのままでいい、自分は一人でいるべきだ」

 

エルサが15年間これに固執して自我を保ってきたにも関わらず、両親が他界してから彼女の孤独を知る者は誰もいなくなった。

 

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不祥事(?)で山に逃れたエルサが一人で生きる決意をしたことは、もはや必然。自分を閉じ込めることも、能力を疎むことも限界が来ていたのだと思う。自分を解放したい願望があの氷の城を築いた。山奥に誰も寄せ付けない氷の城。それは美しくも孤高の城。誰も寄せ付けない張り詰めた空気をまとったそれは、エルサがはじめて出した「拒否」のサインだった。

 

でも拒否したからこそ、エルサは自分をやっと肯定できたと思うんですよね。自分を否定するか、誰かを否定するかでずっと後者を選んできたために自分を押し殺したんだから。 

 

誰もいない状況はエルサをその葛藤から開放してくれる唯一の場所だったと思う。

 

でもこの物語はエルサの「ありのままの自分で生きたい」という願望を否定する物語。最後はアナのもとに戻ったエルサは、凍らせる能力が肯定され、コントロールできるようになったとはいえ「人を傷つける恐怖」にはずっと囚われ続けるのだと思う。いくら「愛によって氷は溶ける」ということがわかっても多分怖いものは怖い。解毒剤は救済処置になったとしても、進んで毒を飲む風潮は作らない。意図せずアナを傷つけたように、また誰かを傷つけるかもしれない。その恐怖は薄れないだろう。

 

だからこそ思う。

エルサにとってこのエンディングは救いがあるのだろうか、と。

 

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アナにとってハッピーエンドでも、エルサにとっては新たな葛藤のはじまりで、エンディングですらないと思う。最終的にエルサが幸せになれるか、それは作品中では察することができない。

 

でもこれって現実によくある構図なんじゃないかな。なんて思ったりもする。

腑に落ちきらないものをみんな抱えて生きている。その中で自分を否定しては肯定して、元気になっては落ち込んでと波打ちながら生きていく。いっそ一人ぼっちで生きたいと思っていても現実はそうはいかない。各々我慢を重ねるように生きているわけで、今重ねている我慢が報われるのか確証もないままに生きる。誰もがありのまま生きたいと多かれ少なかれ思っているのに、その願望はなかなか叶わない。

 

エルサの意志や未来がわからないように、ハッピーエンドかバッドエンドか。ノーマルエンドか。それらは恐らく遠い未来にわかるものだ。 

 

そこに対して妙に現実的だと感じた。今までのディズニー映画ではなかった、夢を見せてくれない作品。だけどその分、右往左往し蛇行するように生きる現代人の心にすんなりと入りこむことができたのだろう。

今はこの結末しか選べない。これが正解かも分からない。けれど、わからないからこそ、明日を迎えられるっていう側面もきっと、ある。

 

夢を見るようなハッピーエンドではなかった。だからこそ考えさせられた作品だったと思う。まだ視聴されていない方も是非にご覧くだしあ。

 

 

 

 

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