鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

【人間関係に疲れた人へ】他人に気を遣いすぎる人に答えてほしい2つの質問

 

もと「人の目が気になる人間ガチ勢」の鳥頭です。ごきげんよう。 

そして最近友人から言われた言葉は「もうちょっと回りに目を気にしよう?もうちょっとでいいからな?な?」 と半ば懇願の眼差しを向けられる鳥頭です。ごきげんよう。対照的過ぎて人物像がかれこれ20年以上迷子な鳥頭です。ごきげんよう

 

突然ですが、あなたは「他人に気を遣いすぎる人」ですか?

 

他人に気を遣いすぎる人って、恐らく大勢いるんだろうと思います。集団行動を得意とする日本人は、常に人からどう見られているかを考え、はみ出さないように自分を律することが出来る民族です。

 非常にマナーのできた、すばらしい国民性として世界から賞賛される性だと思います。

 

しかし、一方で「他人に気を遣いすぎる人」ことでストレスを溜めてしまっている人が多いのも事実ですよね。人と一緒にいるだけで気疲れしてしまったり、自分の優先順位をどんどん押し下げていってしまったり。いろんな人と接する中で、生き辛い思いをしている人がたくさんいるように感じます。

 

ということで、今回のテーマは「他人に気を遣いすぎる人に考えてほしいこと」です。

 

他人に気を遣いすぎる太刀だった鳥頭が、人の目を気にしていた時代の自身を振り返って、あのときの自分が目の前にいたらどんな助言をするだろうかと考えながら書いた記事です。他人の目を意識しすぎて生き辛いと思っている人に何かしらのヒントを与えられればいいな。

ゆっくりしていってね。

 

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↓ 他人の目を気にしすぎる人が、自分本位に生きるための方法を書いています。よければ一緒にどうぞ。

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他人に気を遣いすぎる理由は保身のため?!

そもそもなぜ、私たちは他人に気を遣いすぎるのでしょう。

 

 

それは「自分が過ごしやすい環境に身を置きたいから」なんですよね。

なんでおもしろくもない友達の話をニコニコしながら聞くのか。上司のわけのわからん「俺の若い頃は・・・」みたいな話を懸命に相槌打ちながら聞くのか。それは自分の保身のための行動です。

 

管理人は親をむせび泣かせる勢いのあんぽんたん人間を職業としていますが、そんなあんぽんたんでもかつて、他人に気を遣いすぎていた時代がありました。

 

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鳥頭が大学生だった頃の話です。

「一緒に歩く友達はアクセサリー!人の価値はフォロワー数!mixiのコメントがつかないやつってなんなの、ぼっちなのww」みたいな価値観の場所に一時期身を置いたことがあります。今思えばすげえ価値観です。自分の生き方と対照的な、自分のステータスを誇示するように周りのものを総動員するような人たちのたくさんいる環境でした。

 

人間の順応性って怖いことに、自分と正反対の環境でもなんとか適応するように作られているんですよね。今は「ぼっち最高や!」と地球の中心で叫ぶ人種である鳥頭ですが、当時はその環境に身を置かなければいけないという固定概念に縛られて、考え方を毒されていったわけです。

 

明らかに合わないタイプの先輩の話に対して、おもしろくて仕方がないように相槌打って。授業中でもツイッターのタイムラインは目で追って。休みの日や授業の合間には溜まり場に向かって情報収集しながら、自分がハミられていないことに安心する。みたいな。

 

今思い出せば、めちゃくちゃ疲労してたんですけどね。けれど、それに気が付くのにとてつもなく時間がかかりました。しんどいときほど視野が狭くなるのかなんなのか。その環境や価値観に適応すること以外の解決策が見えなくなっていたんですよね。

 

結局、鳥頭はその環境や価値観についていけず、ドロップアウトしてしまいました。結構ズタボロになるまで粘りましたが、半年持たなかったなあ。。

 

そんな環境にいたからこそ。そしてやめたからこそ。見えたものがあります。

 

 

 

他人に気を遣いすぎる人は、損得勘定でものを考えたほうがいい

今の環境がなぜかしんどい。辛い。もしあなたがそんな人ならば、以下ふたつの質問を自分自身にしてみてください。

「この環境は自分に何を提供してくれるか」

「この人に気を遣いまくって、心をすり減らすことで得られるものは何か」

完全な損得勘定で状況をみるわけです。

 

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自分が過ごしやすい環境を手に入れるために、他人を利用する。そのこと自体は悪いことではありません。

 

相手を多少ヨイショして自分が居心地よくなるならば、やればいいと思うし。人の様子をちゃんと見てそれに合わせた行動が取れれば、最適な行動も見つけやすいと思います。世渡りのうまい人がやっている術であり、これ自体は否定しません。

 

でもこれがストレスになってしまうと本末転倒です。

 

すぎたるは及ばざるが如し。という言葉があるように、気にしすぎることは自分を抑圧してしまうことにも繋がります。

 

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あなたが守りたいと思うその場所は、あなたが心を削ってまでいるべき場所でしょうか。

あなたが自分を抑圧してまで付き合うその人は、あなたにどんなメリットをもたらしてくれますか。 

 

冷静に考えてみると、自分がその環境に固執するメリットって実は少ないように思えるんですよね。

 

お局様の嫌味っぽいお説教に辟易しながらもその職場に身をおくのは、自分の給料を確保するためです。でも、その職場はあなたの心より大事なものですか?「いつかは絶対やめてやる!」そう思うような場所ではないですか?

 

自分と波長の会わない人に合わせることで得られるものは、その環境で浮かない安心感やいじめられない確信です。でも、その安心感って本当に今のあなたに必要なものですか?本当はそんなことに気を遣わなくても認めてくれる仲間がほしいんじゃないですか?本当にその人たちは、あなたに価値を与えてくれる存在なのでしょうか。

 

もし、その答えが限定的された条件だけの価値ならば、今の自分の生き方について今一度考えてみてください。

 

他人をむやみに大事にしないことで、自分が本当に大事にしたいものが見えます

人間観察していて思ったことですが、他人の目を過剰に気にして、他人に気を遣って嫌われないように立ち回る人って、付き合う人を意図的に選べない人が多いです。

 

すべての人を大切にする、といえば聞こえはいいですが、逆に言えば、自分を含めて誰も大事に出来ないということでもあります。選べないっていうのはそういうことです。 

 

好かれなくてもいいじゃないか。

嫌われてても、死にはしないじゃないか。

本当に大事なものだけ大事にしている今のほうが管理人は楽しい。

 

余計に気を遣うことをやめた分、自分の周りを去っていった人はやはりいます。でも、これでよかったんだなと今なら思えます。

 

今、周りにいる人は自分が選んで付き合っている人。だからこそ、その人たちに感謝の意を込めて、応えたいと思う。他人の目なんか気にしている時間が惜しい。そう思えるようになったことが自分自身の中では大きな変化です。

 

最後に改めて。

「この環境は自分に何を提供してくれるか」

「この人に気を遣いまくって、心をすり減らすことで得られるものは何か」

この二つの問いでわかるものこそ、自分が本当に大切にしたいものです。何かしら答えを見つけていただければブロガー冥利に尽きますよっと。

 

 

 

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