学生と社会人の違いを社会人3年目の社畜が考えるシリーズ第二弾。
第一弾の「責任感」について書いた記事はこちら。
頂いたコメントも考えさせられることも多く、個人的にお気に入りの記事になりました。反応返して頂いた皆様、ありがとうございます。あいしてる!
第二弾のキーワードは「自由」。
面接で直接聞かれることは少ないかもしれないけど、仕事観や人生観がモロに反映されるキーワードだと思う。
「なんで就職するんですか?」「仕事にどういうものを求めていますか?」などといった就活定番の質問を考えるきっかけにもなる。考えてみて損はないキーワードです。
『学生と社会人。どちらが自由だと思いますか?』
その問いを今一度考えながら、この記事を読んでいって頂けると有意義かと思います。
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自由って何?
『学生と社会人。どちらが自由だと思いますか?』
まず、この問いに答えるためには「自由」を定義しないといけない。
「自由とは一体何か」皆さんはこの問いに答えられるだろうか。
辞書を引いてみた結果が以下である。
「他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること。」
・・・辞書の定義ってこういうところに引用しても「・・・せやな」っていう微妙なリアクションしかとれないから困る。意味としては網羅しているんだろうけど、なんとなくしっくり来ないので、ここでは「自由」を以下のように定義する。
自由とは、あらゆる選択の権利が自分にある状態のこと。
この定義を踏まえて「学生の自由」と「社会人の自由」それぞれの自由の定義について考えていくことにします。
学生の自由とは、制限の中の自由
先に結論から書いてみると「学生と社会人ならば、社会人のほうが自由」だと管理人は思う。
「社会人のほうが自由だよ」というと「えー!そんなことないよ!社会人なんて仕事している日が大半で、家と会社の往復ばっかじゃん!学生みたいに遊べないのに自由っておかしくね?」と学生時代の鳥頭からツッコミがすかさず入る。
確かに。
社会人になってから拘束されるものが増えた。遊ぶ時間をなんの苦労もなく捻出できた時代と今を比較し、あぁ、あの頃はいくらでも時間があって自由だった、と感じることもあると思う。
でも、ちょっとよく考えてみて。学生時代感じていた自由とは何かを。
学生のときって本当に自由だったのかな?
学生のいう自由とは「時間」だ。
社会人になって自由がなくなったと感じる人の大半は、自分が好きに使っていい時間がなくなったことを「自由」がなくなったと表現している。
しかし、学生が自由にできるのは隙間の時間だけであって、それ以外は多くのものに制限されている。
養ってもらっている立場であり、親に許しを得て進学した立場でもある。一度進路を決めてしまえば、「あらゆる選択」の権利は与えられてはいない。自分だけで決めていいことって実はとても小さなことばかりだ。必ず大きな決定の前に誰かに許可をとって実行に移さなければならない。
故に学生は自由ではない。制限された生活の中で、自分が好きに使っていい余りの時間に対して選択権が与えられているだけだ。
これが「学生の自由」の正体。純粋な自由ではなく、制限をかけられた中で好きにしていい時間を「自由」としている。体感している自由度は大きいかもしれないけれど、それは捕らえられている檻に視線をやれていないだけ。不自由の中にある自由なのだ。
社会人の自由とは~生きるも死ぬも自由~
一方、社会人の自由って学生の自由と根本的に違う。学生の「自由」が時間だけに限定されていたのに対して、社会人の自由は時間以外のものにも及ぶ。
今の会社にいることも、今の仕事をしていることも、自分で選んだものと見なされる。時間的自由も図にすればこんな感じ。
どの環境に身をおくかを自分で決める。そして、いつそこから去るかも自分で決めることが出来る。いつ働くか。どんな生活を送るか。どうやって時間を使うか。それらはすべて自分の選択によって決まる。
自由な時間がないと嘆く社会人だって、自由な時間を得られない環境を選択しているに過ぎない。家族が出来て自由な時間がないとぼやく人だって、家族を作るという選択をしたにすぎない。
学生時代は時間だけの自由だったが、社会人は生活、場所、環境など多くの裁量が自由とされている。何をしても自由。何もしなくても自由。のたれ死ぬも自由。誰かと生きるのも自由。すべてが自由だ。
実情は違うこともあるけれど、社会人という立場の本質は自由だ。
学生の自由と社会人の自由の違い
学生の自由は賃貸アパートのレイアウトを考える過程に似ている。
最初から間取りの決まった空間があり、それにあわせて家具を購入したり、カーテンを選んだり、インテリアを考えたりしていく。間取りという制限があり、決められたスペースに自分の好みのものを配置する。自由なところは確かにあるけど、制限があることを前提としていて、その枠組みの中を好きに彩っていくのが学生の自由。
社会人の自由は言うなれば建設だ。
どんな建物でも建てられる空間がある。ここに何かを作りなさいと言い捨てられるのが社会人の自由。木材を使おうがレンガを使おうがなんでもいい。広さも自分で決めて、間取りを決めて、どんな庭を造るのか。すべて自分の裁量次第。
もてあましてしまうほど大きく、広範囲に及ぶ自由。これが社会人の自由。
社会人になって学生の自由を恋しく思う人っていると思うけど、それって社会人の途方もない自由に嫌気が差しているか、時間だけが自由だと勘違いしているかなんだよな。
学生の頃は「早く開放されたい、自由に生きたい」と思っていたけど、いざ本当の「自由」を目の前に差し出されたときは身震いするほど怖かった。何もかも自分で選べることって、想像を絶するぐらい過酷なことなのだと自由を得るときに思い知った。
だからこそ、人は自分を縛り付けてくれるものを無意識に求めているのかもしれない。果てしない自由より、制限がある方が楽だしね。
自由は厳しい。だから楽しめ
この記事でいいたいことは自由って怖いよってことでも、学生ってのはやっぱ楽だったわーということでもない。
「社会人になったら自由がない、そう思っている学生達へ!安心しろ、社会人は学生より数倍自由だよ!けれど、学生の頃思っていた自由とはちょっと違うかもしれないよ!!」
実は少しだけ早く社会人になった一先輩からお節介を焼きたかっただけです。
これから社会人になる方々に、用意されただだっ広い土地にどんな自由を作っていくのかを今から考えてみれば少し新しい視点ができるかなと。
ビルを建てるも、一軒家を作るも、ガレージを作るのも一つの手です。じゃあどんなビルを作りたいの?どんなガレージにしたいの?色は?形は?設計図は?
いろんなことを決めていかなくてはいけないと思います。胃がキリキリするような選択をしなければならない時も恐らく、ある。だけどその過酷さを含めて自由を楽しめる人になれるかどうかが、楽しく生きるコツなんじゃなかろうかと思ってたりする。
どうかこれから出現する広大な自由を、素敵なものだと学生の方々が少しでも思えますように。
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