個人的に継続することは苦手ではないと思っています。何かしらやると決めたことは完遂するタイプだし、なんだかんだで自分の決意に忠実に生きている人間だと自負しています。
適当に決めたことに関してはすぐ忘却するので、決意というレベルまでいかないと続ける続けないという土俵に立てないことも問題なんだけどね!記憶力が慢性的にニートだな!
鳥頭は健在だけど、「ブログを続けよう」という決意はニート記憶力に勝る決意だったようで。当ブログ、鳥頭奮闘記もコツコツ継続してきて半年間は毎日更新してきました。そしてここ一ヶ月それをやめてみました。日曜日を更新を休む日と設定し他の日も「無理矢理更新はしない」ぐらいの姿勢に変更。これまでと運営スタイルをギアチェンジ。
その過程でいろんな気付きがあったので今回はそんなお話。
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毎日ブログを更新するのをやめた理由
毎日更新をやめた理由は単純に「疲労」でした。
鳥頭は社会人なので毎日帰宅してから翌日更新する記事をもそもそ書いて就寝という生活スタイルを取っていたんですが、そのルーティンがしんどくなってきたというのが一番の理由です。
簿記の解説記事をメインとして更新していた時期は一日多ければ6記事ぐらい書くことができたんですが、雑記系の記事になると、そうはいかなかったようです。
記事を書くまでの構想に裂く時間が多くなること。自分の考えをしっかりまとめてから書き始める必要があること(まとめたわりには内容ぐちゃぐちゃになっているけど)。それらを要する記事の執筆には必然的に時間がかかり、一日一更新がやっとになったわけです。
だいたい一つの記事の文字数は3,000字ぐらい。大した字数じゃないかもしれないけれど、定評のある集中力のなさが手伝って合計で6時間ぐらい掛かってるんですよね。一気にがーっと書くことが出来ると半分ぐらいの所要時間で書ける内容だとも思うんだけど。いかんせん「一日5分でいいから集中して」と未だ真面目にお説教食らう身なわけです。現状記憶力も集中力も、ついでに記憶力もないことはしゃーない。
けれど今。一日6時間のあんぽんたん鳥頭の努力で、普通の人の3時間分の集中力と同じ成果が発揮できるなら、鳥頭は6時間の努力を選びます。車に例えるとシボレーサバーバン(2~3km/L)あたりか?燃費悪すぎワロス。
その選択は間違えてはいないと思っているし、後悔もしていないけれど、やっぱり疲労は溜まってくる様子。ちょっと生活見直すかなと思いつつ、「日曜日はお休み、その他の日も無理して更新しない」ことを試しに一ヶ月過ごしてみたわけです。
「継続」をやめることが怖かった
とはいえ、更新休むことに対して抵抗がなかったわけではありません。
やると決めた決意が固いほど、やめることが難しくなる。その理屈からして継続することに関して並々ならぬ想いもあったわけで。
もっというと「やめてしまったら全部だめになってしまう」みたいな幻想すらありました。やっとこさ(弱小ブログなりにも)軌道に乗ってきたかもと思っていた矢先のことだったため、継続を止めるのは怖いことでした。
続けることに固執するのは、そこに価値を見出しているからこそ。
このブログの価値ってなんだろうと考えたときに、「毎日情報発信できること」が〆る割合は相当大きかったんですよね。疲労していなかったらもっと続けていたと思うし。
よくよく考えてみたら今までの人生で、やめるという決断をしたことってそれほどないように思えたんです。卒業と同時に終わる、とかいつの間にか忘れるとか。節目と同時に見切りを付けたり、最初から終わりが見えているものしかはじめなかったり。
小学生の頃からはじめた書道は三段の試験に合格すると同時にやめました。中学、高校はそれぞれ運動部に所属し、引退と同時にやめました。大学でもそんな感じ。ゼミは途中でなんとなくいかなくなりました。そんな感じの鳥頭の人生です。
続けられることしか続けないという無難な選択をしてきただけとも取れますし、期間限定だからこそ完遂できたともとれます。何にせよ「決意して続ける」ことはしてきたのに「決意してやめる」ことはほどんどしてこなかったんですよね。
だからこそ滅茶苦茶葛藤がありました。今回の場合も体が先にストップを掛けてきたので厳密には「決意してやめる」ってことにもならない気もしますが。
一日1更新をやめてみて気付いたこと~自分に縛られることで目的が見えなくなっていた~
そんなこんなで不本意ながらはじめた新しいルール。最初は違和感しかなかったものの、一ヶ月継続してみて新たな気付きがありました。
そのうちのひとつが「自分の決めたことに縛られまくっている自分」です。
やると決めたことはやる。それはいいと思います。鳥頭な自分の数少ない長所だと思っているのでそれ自体は否定しません。けれど、自分の決めたルールに縛られることで、大事なことを忘れている自分を今回自覚しました。
管理人がブログをはじめたきっかけはいろいろありますが、少なくとも「ブログを書く」という行為で得たい何かがあったわけなんですよね。
一般的にブログの目的は「収益を出す」とか「知名度がほしい」とかいろいろ。ブログでなくても、資格を取るために勉強することは「資格を得た上でああいう仕事がしたい」とか「こういう自分になりたい」とか「こういうところに活かせる知識がほしい」とか。
意識的に、または無意識的に何かしら得たい結果があるから行動するわけですよね。
それを得るために自分が課した条件が「ブログを毎日更新すること」でした。得たい結果に少しでも早く近づくための、あくまで条件だったわけです。
それがだんだん絶対的なものになり、「ブログを毎日更新するために、ブログを書く」というみょうちくりんなところに落ち着いてしまったわけです。遠いところにある灯台を目指して歩いていたはずが、いつの間にか全然違うものの方向へ歩いていたんですね。
少年ジャンプにありがちな「強くなりたい」と常々つぶやくアブナいキャラ。イメージはあんな感じですかね。最終的に強くなって果たしたい目的があったはずで、そのための手段が強くなるための鍛錬だったのに、次第に「強くなること」が目標になって、目的を忘れてしまっているやつ。・・・鳥頭は少年ジャンプの主人公だった・・・??
自分のルールから自由になると大事なことに気付けると思う
鳥頭がなんでブログ書き始めたかは今回は省きますが、少なくとも更新を続けるためにはじめたブログの執筆ではないです。
自分で決めたことにどんどん囚われていって、最終的にやめるときには幻想とも言える恐怖心を伴うなどけったいなことになるぐらいには、自分に縛られていたのだと思います。
更新をやめてみて、当初感じていた「全部がだめになりそう」という恐怖心も何の根拠もないものだと気づきました。とくにダメになったわけではなく、もともとダメ人間のスペックのまま鳥頭は今日も元気に周囲の人々の胃の開通工事に勤しんでいます。
それまで不自由だった自覚はありませんでしたが、今すごく自由になった気分です。やっていることとしては、一週間に7記事更新していたのを6記事に減らしただけですし、ライフスタイルに変化はほぼありませんが、気持ち的にはとても気楽にやってます。
自由って人や組織からの束縛で成しえないものというイメージがありましたが、一番難しいのは「自分から自由になること」なのかもしれません。
いろんな葛藤があって、やっと大事なことを思い出しました。本当に大事なことって、実はすでに知っていて、事あるごとに思い出すものなんだと思います。そういう意味で鳥頭にとってこの一ヶ月はすごく大事な一ヶ月だったんだと思います。
あ、ちなみになんですが、ありがたいことにアクセス数は減っていません。毎日更新をやめるときビクビクしていた要素のひとつでもありましたが、これに関しては今のところ関係ないのかなって感じています。読者の皆様いつもありがとうございます!!
この記事で200記事を達成です。これからも鳥頭は(主に周囲の人たちを巻き添えに)奮闘してまいります。どうぞよろしく。
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