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鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

ブログやってみたら予想以上に楽しかったので、その理由を考えてみた

 ブログを運営してきて4ヶ月が経ちました。えっちらおっちらやってきて「ええ?!もうそんなに経ったのかい?!」という驚きを一番に感じる。まだド素人感覚あるし、全然回り見えてない感じあるし、わけてもらった知識も活かしきれてない感じあるし。

 

とにかくあるのは不慣れ感。四ヶ月経とうが不慣れ感。どう誤魔化しても不慣れ感。

 

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自転車乗れたばかりの子供の如く、あっちへふらふら~こっちへふらふら~と運営しているけれども、個人的にそれを含めて「うん、ブログって楽しい」と思う。大して成果も何も出ておらず、やっと最近、反応を返して下さる方々が現れたという状況。長いことちまちま書くだけの日々だったけど、「楽しい」という感情を抱けることに対して「鳥頭はドMか馬鹿かどっちだ」なんて自分でも思ったけど。

収益も発生してないのに、なんで楽しいって思うの?というところを突き詰めるのそれなりにいろいろ出てきたのでそれを書いてみようかな、今回はそんな記事。

 

書くこと自体が楽しい

まず純粋に浮かんだのは「書くこと」そのものが楽しい。

 

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ブログというのは文字で情報を発信するツールということで、基本的に行う活動としてはひたすら書くこと。これが楽しいと感じるか苦痛と感じるかが、ブロガーの適正の第一関門なのかなと思う。これで鳥頭もプロブロガーやでえ!!(結論高飛び)

 

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・・・と、一秒あれば調子に乗れる鳥頭はほっといて。

 

「書く」 という行為は、頭の中にあることに実体を持たせることでもある。普段ぐちゃぐちゃと頭の中にひしめいている言葉を書き出してやることで自分の考えが整理でき、改めて「こんなん思ってたん自分?!」と気が付くことがある。

自分の中で言葉をぐちゃぐちゃめぐらせてしまう傾向にある内向的な性格の人は、楽しいと思うんじゃなかろうか(by人見知りガチ勢・内向的な鳥頭)

 

情報収集が楽しい

 ブログ始める前から本読んだり、どっか出かけてみたりとインプットはしていた管理人。ブログはじめる前とはじめてからでは、少しインプットの様子が変わってきたかなと感じることがある。

同じように本を読むのでも、内容だけを追っていくようなインプットと、あわよくばアウトプットしようとしながら行うインプットではかなり違いがあるのだ。その違いは管理人の場合、大きく二つ。

 

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 一つ目は、人に説明すること前提に読むとより内容をちゃんと追うように読めることだ。

これには言葉通り、内容をよりしっかり理解しようと心掛けられるということ。書評なんかを書こうとすると、内容を把握した上でその本はどんな人に望まれている本なのかを考えながら書くため、必然的にインプットを徹底する。その結果、一冊の本から得られる情報量が違うと感じる。

 

そして二つ目は、本を読む視点が変わること。

ブログをはじめてからつくづく「言葉が足りていない感」を自分の記事から感じることがある。内容はちゃんと理解しているにも関わらず何故か説明できないことって結構多いんだと痛感することがある。それはもうしょっちゅうある。

そんなときに本を読むと「ここでこの名詞と動詞を組み合わせるってすげーセンスだな」とか「こんな例え話をするとわかりやすいのか」なんて参考になることがごろごろしていたりする。今まで内容だけ汲み取って「おk、理解」というリアクションで終わっていたものが、今は内容外である言葉選びなんかも勝手に学んでいる。

 

難しいことは難しいし、わかったところでできていないのが現状。それでもひとつの情報源から、より多くの「なるほどな」という感想を抱けることが楽しいと思う。 

 

 

ネタ探し自体が楽しい

ブログを続ける中でネタの枯渇は命取りだと思う。だから読書等でインプットを怠らないようにと意識しているけども、それができないときもやはりあるわけ。そんなときは「何について書こうかなー」と考えつつふらふら散歩に出かけたりしている管理人です。歩くのが一番楽しいのは午前二時だと声を高らかに主張する。

 

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そんな中、今まで流れるように見ていた景色の中に「これってネタとして使えるんじゃね?」という発見があったりする。いつも歩いている道にあるマンホールの模様とか、形状の違うパイプ椅子とか、ペットボトルのキャップの色とか、人の口癖や何気ない一言だったりとか。日常対して気にもとめなかったものに「なんでだろう」と目を向ける機会が増えたように思う。

 

ほんのちょっとだけ心に引っかかったことに反応し、調べたり考えたりすることで自分の引き出しは増えていく。そこから派生したことの中に「これって記事になるんじゃね?」と感じることがある。実際まだ記事にはしてないけどね。

 

日常の中により注意を向けるようになったことはブログというきっかけがあるからだと思う。改めて「気が付く」ということの貴重さを今身を以て学んでいる。その過程が楽しい。

 

他のブログを研究することが楽しい

 上司(師匠)から「他のブログを研究してみ?」という助言があった。読まれるブログには読まれている理由がある。 それを真似してみることで、先輩から技術を学べということだ。

 

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管理人はもともと分析することとか数字に書き起こしてみることとかが好きだったりする。2005年の阪神今岡の打率見て、まだニヤニヤできる。歴代のタイトルホルダーの成績見ても、ニヤニヤ出来る。我ながら危ないやつだと思う。おまわりさん、私です。

 

実は分析好きな鳥頭。読まれているブログの分析し、そこに見える小さな工夫とかを探すことが楽しい。画像の配置やサイドバーの見出し、タイトルのつけ方なんかを見ていくとすごく勉強になる。「なんでここ、こういう見せ方をしてるのかな?」なんていう疑問をあれこれ仮説を立てて考えることも楽しい。明確な答えが見つからなくても、わからなければわからないで、それはそれでいいって思う。

 

 

試行錯誤を楽しめる人なら、ブログは楽しい

 自分で書いていて若干の変態感あるなw誰か共感してくれる人いるのかな?w

 

どうやら管理人はわからないことに考えを巡らすことが好きらしい。わからなくて答えが見つかるのは楽しいし、答えが見つからなくてもいつかわかるだろうと気長に放置できる性分なのだろう。要は試行錯誤が好き、ということかも。どうあがいても若干変態だw

 

そういう意味で、自分でいろんな企画を好きにできるブログというものに適正はあるのだろう。

なんかやってみた→うまくいった・うまくいかなかったという過程をどう転んでも楽しむことが出来る。ひたすらにある自由が楽しいと思うのかも知れない。やはり少しばかり変態だw

 

 自分で試行錯誤してなにかをしてみたい、と思う人はブログに向いているのかなと思う今日この頃。うまくいくことそのものは皆好きなんだろうけど、うまくいかなくてもその過程を楽しめる変態ならばブログを楽しるかもね。

 

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