鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

新興宗教に「気持ち悪い」としか思わなかった話

 

以前、友人に宗教法人の見学に連れて行かれたことがあります。

 もともと、宗教自体には興味はなかったけれど、偏見もなし。オウムとか過激派なんとかみたいに暴力振るってこなければ、特に害はないんじゃね?というおおらかな価値観だったこと。そして、とても親しかった友人の誘いだったということもあり、「まあ新しい暇つぶしになるかもしれないよなー」と軽い気持ちで引っ張られていきました。

 

・・・結果、半日経つ頃には疲弊してほうほうで帰宅。

 

宗教とかに偏見とかないけど、もう宗教は無理ってなったので、体験談として書き記そうと思います。

 

※当記事は宗教法人の悪口ではありません。単に鳥頭とは壊滅的に相性が悪かっただけだと思います。宗教法人や信仰を否定する意図はありません。

※連れて行ってくれた友人や、宗教法人様を考慮し、フェイクを入れまくって執筆しています。予めご了承下さい。

※いつにも増して何がいいたいかわからない記事になっています。時間つぶしにどうぞ。 

 

 

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宗教法人が気持ち悪いと感じるまで

 宗教法人でやったことはそれほど多くはありません。

 

友人と体験受付を済ます。

友人の信者仲間(?)を紹介される。

ホールのようなところで、教団の偉い人の話を聞く。

座談会に参加する。

 

コミュ障には些かキツすぎる科目です。いやもう初対面な人を目の前にして座談会とか一気に帰りたくなったよね。ヒトコワイヨ。

 

半日でしたが、いろんな人と接するうちに「宗教って気持ち悪い」っていう気分になってしまいました。もともと偏見なんてなかったので、法人施設にいることで芽生えたものだと思います。。

 

「宗教とか信者って気味が悪い」

そういう偏見が最初からあったのではなく、何もなかったはずの管理人に経験としてその認識が生まれました。普通と順序が逆ですね。

 

あまりに綺麗な笑顔が気持ち悪い。

信者の何が気持ち悪かったか。

それは笑顔です。半日で多くの信者の方と接する機会がありましたが、皆さんとても綺麗な笑顔で迎えて下さいます。

 

「こんにちは。体験の方ですねー」

「はじめまして」

「仲良くできたら嬉しいです」

 

ありふれた挨拶だったと思います。特に意味もないような雑談。神聖でありながらアットホームな雰囲気。居心地を追求し、光を多く取り入れるように設計された間取りの部屋。。

 

 

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そんな空間にあるのは、この上なくバランスの取れた、美しい笑顔、笑顔、笑顔。。

普段はそんなこと思ったことはないけれど、その場所にいたとき、はじめて人の笑顔に対して、気味が悪いと感じました。 

 

みんな仮面のように同じ笑顔をしていました。

 

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笑顔は強要すると消えていく

その宗教は、開祖の教えを守ると誰でも「幸せ」になれるというものでした。そして、その教えの中に「笑顔大事」みたいなこともあったようです(多分)。

 

実際幸せを実感しているかどうかはわかりませんでしたが、信者達はみんな一様に絶えずニコニコしているのです。最初は「この空気感みたいなのがそうさせているのかな~」とか思いました。

 

でもそれにしても違和感がありました。なんとなく笑い方がキレイすぎるような気がしました。

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それは恐らく「幸せ」だから、「楽しい」から、笑っているわけではない。幸せになりたいから、楽しい状態でありたいから、笑っている。そんな笑顔だったのだと思います。

 

笑顔で自分の感情を隠してしまう人は、鳥頭の周りにもいます。不安を、弱みを、負の感情を見せたくないがために、笑って周りの人を誤魔化す人はそれほど珍しくありません。それがその人が実践する、他人との距離の取り方だったりします。

 

笑顔で人を拒むこと自体を否定する気はありません。

気持ち悪いとも思いません。

 

けれど、宗教法人で見た笑顔に、「幸せでなければならない」という義務感を感じました。 

 

無自覚に「幸せ」の奴隷となる人々

その場にいたからこそ、本当は笑いたくもないのに笑っている人が管理人にはわかりました。

 

その宗教の教えの通り、「幸せになるための笑顔」をみんなが貼り付けている。

そんな人たちの顔を見た瞬間、思ってしまったんですよね。この笑顔への信仰は、笑顔を無表情にするって。

強要された笑顔は人から無表情と同じ。人から表情を奪うものだって。

 

この人たちは、自分の表情をひた隠しても「幸せ」になりたいのだと思った瞬間、「ここにはいられない」と強く思いました。

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何が幸せなのか。そんなことは知らない。わからない。けれど、幸せな自分はきっと、この笑顔の先にはいない。そう思いました。

そこにいたのは「幸せ」というものの奴隷でした。幸せを求めてそこにたどり着き、自分の表情を対価に差しだし、「幸せ」の輪郭をなぞるだけの奴隷。

 

管理人が気持ち悪いって思ったのは、「幸せの奴隷」となった人が何の疑いもなく、笑顔を浮かべることそのものに対してです。

 

自分の幸せという、自分しか決められないものを外部に任せて、思考停止して笑顔を向ける人に違和感を抱かざるを得ません。「笑っていたらいいことがあるよ!」という何の根拠もないことを真面目に信じて、自分で自分の表情すら選ばなくなった人たちを「気持ち悪い」以外になんと表現したらいいかわかりませんでした。 

 

宗教法人の見学会で注意するべきこと

もしこれから、宗教法人のイベントなどに行かれる方。

 

鳥頭から言える事は「その宗教法人が何を説いているか」ではなく。

「信者がどんな風に『幸せ』にアプローチしているか」を見たほうがいいと思います。きっとそれに賛同できるかできないかが、その宗教への向き不向きに繋がるのではないかと分析しています。 

 

宗教を選ぶなら、自分の価値観とマッチしたところにしないと、自分の感性がおかしくなります。ぐっどらっく。 

 

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