鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

「言い訳するな」「人のせいにするな」って上に立つ人間の都合でしかないって話

 

原因自分論。

そんな言葉を聞いたことがありますか?

 

全てのことは、自分に原因があると考えることです。

いわば因果応報。たとえそこに明確な因果関係はなくても、たとえ単に不運な出来事だったとしても、起こりうるすべてのことは、自分に起因するという考え方です。

 

先日、昔の友人と会った際に、そんな話になりました。

友人の転職した会社の上司が「原因自分論」を高々に掲げている人なようです。友人もその考え方に徐々に浸っているところが見受けられました。

 

そうやって話した際に思ったことをつらつら書いていくだけの話です。

 

 

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根拠のない「人のせいにするな・言い訳するな」という主張

「人のせいにするな」「言い訳するな」。

これらは、誰もが一度はされたことがあるお説教だと思います。

 

起こった事の仔細はともかく、起こったことを自分のせいして、受け止めるだけの姿勢が美化されてきました。責任転嫁は悪であり、「私が悪かった」と考えることが正しいことだと、誰もが昔から教えられてきました。

 

自分が関わったことがいっそなくても「まあ、私も悪かったからな」と言える人が「大人」と呼ばれるようです。無理やりにでも、自分の悪いところを探せる人が褒められる。そんな世の中です。ぽいずん。

 

原因自分論の教えは根強く「〜のせいにするな!」というお説教は、小学校にも満たない時から、社会に出た後も、度々繰り返されます。

ちなみに管理人は就職してから3回ぐらい言われてますね。3回から先は覚えてないですが、この分じゃ倍は言われてそうだw

 

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全てを自分のせいだと考えること。

それは「当たり前のことだ」と言われても支障ない程度に浸透した考え方だと思います。しかしその一方で、根拠がよくわからないのが「原因自分論」の特徴です。

 

「なんで言い訳してはいけないの?」と聞いても、今まで納得できる答えに出会ったことがありません。

せいぜい「お前のためにならないから」なんてふわっとした答えが返ってくるぐらいです。

 

「言い訳するな」「人のせいにするな」という主張は、これだけ使われているにも関わらず、言われる側が納得できる裏付けがない、謎の風潮なのです。

 

 

原因自分論に根拠のない理由

明確な根拠がない言い分に関わらず、原因自分論がいつでもどこでも持ち出される理由。 それは「自分たちがそうやって教えられてきたから」に他なりません。

 

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親が、教師が、先輩が、上司が。

その時々で影響力のある人が、言い訳を禁じてきました。疑う余地もないほど強く刷り込まれたその教えは、多くの人にとって「常識」と呼ばれるものになりました。疑う余地がさらになくなった強固な教えは、次の世代の人々にも、脈々と受け継がれていきました。

 

「他人のせいにするな」「言い訳するな」という教えが強固でありつつ、強固な理由。それは、多くの人が共有する「常識」だからです。

 

一旦常識になってしまったことって、疑われないんですよね。人を殺してはいけない理由って即答できる人は少ないと思うんですよ。常識って「考えるまでもなくこうと決まっていること」ですから。

 

理由が必要ないのが常識の性質。疑う必要がないことも常識の性質。

だからこそ、刷り込むぐらいしか、人に浸透させる手段がなかったりします。

 

つまり「言い訳すんじゃねえ!!」と偉そーにお説教してくる人も、なんで人のせいにしてはいけないかわからないのです。そりゃ聞いてる方も納得できないわけだわな。

 

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上の人間にとって都合がいいから「自分のせい」にさせたがる

件の「常識」がいつ、どのように常識に成り上がったのかはわかりません。

しかし、これが「常識」となった理由。そして、それが疑う余地もないほど確固たる地位を掴み続けている理由はわかります。

 

それは、上の立場の人にとって、「都合がいいから」です。

「言い訳は悪いこと」「他人のせいにするのが悪いこと」と刷り込んで置くことで、メリットを得られる人がいるわけですね。 

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上の人・・・例えば上司。

部下がミスを出したとします。その要因が、上司の監督不行き届きだったとします。部下にヒヤリングした際に、それを部下から指摘されたら、上司にとって都合が悪いのです。だって責任を取らなければいけないですから。

 

「人のせいにするな」は自分が「責任をを免れる手段」なのです。

部下が「私のミスです、私が100パーセント悪いです」と言っている間は、最悪責任をなすりつけることができますからね。

 

例えば親。

子供がテストで悪い点を取ったとします。その要因を聞くと「家で勉強している時に弟がうるさくて集中できなかった」と言ったとします。親は「勉強に集中できない環境を与えていない親」もしくは「普通に遊ぶことができる環境を与えていない親」のせいにされたら、やはり困るようです。

 

だからいうのです「人のせいにするな」と。

環境はどうであろうとも、いい点を取ってくる人はいるんだと自分の取った点数を棚に上げて。子供が「自分の実力不足で点数が取れなかった」と言うだけで、自分は親としての責務を果たしていることになりますからね。 

 

「常識」を刷り込むのは、いつだって上の立場の人間です。教育だ当たり前のことだと言いながら、結局、責任逃れをしたいだけ。 自分にとって都合の悪いことを言わない人間が欲しいだけなのです。

 

原因自分論は、そうやって下の人間を扱いやすくしたい、上の人間のための「常識」。下にいる者にとってメリットなどないのです。

 

それに気がつかず「原因自分論」に囚われている人って多いなあって思うんですよね。なんでそういう風に考えてしまうんだろうね。。

 

 

まとめ

今、下にいる人間にとって、メリットのない「原因自分論」。将来的には、恩恵を受けることはあるかもしれません。

しかし、今そうやって、物分かりのいい人間になって、牙のない羊に成り下がることで、自らを傷つけてはいませんか?無駄に自分を責めて疲弊してはいませんか? 

 

納得できないことを無理やり飲み込んで、自分が悪いのだと場を収めることに一生懸命になる。。そんな風になっていませんか?結局、それって何かが解決しているんですか?

 

他人のせいにするのは、果たして本当に悪なのでしょうか。

自分のせいだと思うのは、本当に正しいことなのでしょうか。

あなたはどう思いますか?

 

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