管理人は物欲が乏しいタイプの人間です。
いきなりどういう自己紹介だと思われるかもしれませんね。管理人は、とある時期を境に、物欲がめっきり沸いてこなくなりました。
友人に「なんで急に枯れちゃったの?」と大真面目な顔で聞かれること数回。
たまに家に来る同僚達には「引越し4日後から時間が進んでいない」と形容される部屋に住んでいます。これでも物が増えてるんだけど。。という自己主張は、アリさんの前の塩みたいに無視されます。解せぬ。
余談ですが、同僚達の間で、鳥頭の家は「時の館」と呼ばれていることが発覚しました。「時間が進んでないことに因んでだ!」とドヤ顔かました同僚に腹パン炸裂させたけど、鳥頭悪くないよね???ね???
今回は、そんな物欲がぱったり消えてしまったときのことをお話しようと思います。身近に同じような人がいたら、もしかしたら鳥頭と同じような過程を踏んでいるかもしれません。少しでも理解をしてもらえたらなと思います。
スポンサーリンク
物欲がちゃんとあった頃の話
先述の通り、とある時期から物欲がなくなりました。
逆に言えば、その時期以前は、強くはないものの、普通に物欲はあったと思います。
小学生の頃は、クリスマスと誕生日の度に「何買ってもらおうかな~」とうずうずしてました。
今となってはどうしようもない大人である鳥頭ですが、新しいゲームソフトや、おかしについてるおまけのカードが、いちいち気になってしまうお年頃もあったんですよね(血涙)。
とはいえ、誕生日などのイベントがないと買ってもらえません。
だから物欲を抑える手段として、おもちゃ屋さんには近づかないようにしていた自衛のできる小学生でした。・・・我ながら可愛げがマイナス振り切ってる。。
大学に進学して、自分でお金がある程度管理できるようになってからは、いかにうまくお金を使っていくかを戦略として考えていました。バイト代のみの収入で、すべての物欲に応えていたら、交通費すらなくなって詰みますからね。。
ちゃんと最低限の物欲は満足させるために、頭(鳥頭)を捻って考えていましたよ。
商品のコスパやらスペックやらをはじめ、優先順位の付けかたや、緊急時の費用の捻出まで。我ながら、堅実でしっかりした大学生だったと思います。
そこまでちゃんと考えるのは、物欲があったから。
欲に支配されないように。かつ禁欲しすぎて爆発しないように。
我慢と満足のバランスを取りながら、やり繰りしていた段階では確かに物欲は存在していました。つくづく、工夫ってのも欲から生まれるものなんだな、と感じます。
なんだかんだで、激安賃金のバイトをしながら、車もバイクも所持していましたし、大学生としては、ちゃんと物欲を満たしていたと自分では評価します。
スポンサーリンク
物欲がなくなった転機
物欲がなくなったのは、大学生の後半あたり。年代的にAKBの全盛期あたりですね。
よく遊んでいた友人と買い物に行ったときのことでした。
その友人、鳥頭よりも物欲が強く、かつ我慢もしないスタンスの人間でした。一人暮らしであることも相まってよく散財しているような、深いお付き合いはしたくないような感じの友人でした。
その友人が当時、AKBに大ハマリしてしまいまして。CDやらグッズやらをすごい勢いで買い漁っていた時期があったんですよね。。
現在もオタク気質な友人が多い管理人ですが、そういう類の人ってすごい勢いでお金使うんですね。。バイクやらなんやらで他の大学生と比べて、要所要所ではかいこうせんを打つようなお金の使い方をしていた管理人ですが、流石にびびりました。
鳥頭のお金の使い方が、はかいこうせん(その後1ターンお休み仕様)だとしたら
友人のお金の使い方は、ブレイブバードとかいのちがけとか?
・・・ポケモンやらない人には意味分からんかもしれませんね。
お金の使い方が捨て身。肉をばんばん切らせていくスタイルです。
欲とのバランスを取ることしか頭にない管理人のリアクションは、びびるか引くかの二択。・・・対応力がないとかいうな!その通りだよ!!
そんなこんなで、ただでさえ慢性的金欠症候群に陥っていた友人は、もっと金欠になりました。遊ぶ頻度は減りましたが、こちらにお金をタカりにくるわけじゃないし、本人も楽しそうだったので適当に放置していました。
スタンス的には「お金の使い方なんて人それぞれ」と不干渉な態度を維持していました。
しかし、そう思う一方、鳥頭には、友人のやっていることが、すごく滑稽に見えたんですよね。
物欲って何で沸くんだろう
外には出さなかったもの、友人に対して冷めた眼差しを向ける自分がよくわかりませんでした。
その日も友人の買い物に付き合いつつ、気持ちいいぐらい潔く金欠に陥る友人を傍で見ていました。友人は楽しそうでしたが、ちょっと付き合っている方としては疲れてきた。そんな状態だったからこそだったのでしょう。
友人に「なんでそんなに買いまくるん?」と純粋な疑問をぶつけたのでした。
「なんでって・・・買うと満たされた気分にならん?」
きょとんとしたまま、友人は応えたのでした。そのときは「ふーん」ぐらいのリアクションに留めたような気がしました。しかし、当時はその迷いなき解答が、どうも耳にこびりついて離れませんでした。
満たされた気分になりたいから、物を求める
「なぜ人は物を求めるのか」
友人との会話を機に少し考えてみました。
基本的に、物質を求めるのは「生きるため」。生存するために必要なものです。しかし、それは食料や水など、最低限のもののみ当てはまること。その他のものは、別に生きることに支障は出さない。けれど、欲しくなる。
この現象の理由を友人は「買うと満たされた気分になるから」と応えました。
予想通りといえば予想通りの解答です。
購入した後、その商品によって満たされるならば、ここまで次から次へと物を買い続けることはない。つまり友人は「買う」ことを目的に物を求める。
使うことを目的に、物を買う自分との違いはそこにあるのだと、だから理解が及ばないのだと、その時は考えました。
しかし、どうも腑に落ちきらないものがあったのも事実です。
「確かに、自分は使うために物を求めている。使うことに満足するタイプだな。友人は買うために物を求める。買うこと自体に快感を得られるタイプ。それは間違いないと思うけど・・・でもなんかしっくり来ない。」
友人は言いました。
「物を買うと、満たされた気分になる」と。そのときの会話を逡巡してみて、ふと違和感の正体に気がつきました。
使うことと、買うこと。
それぞれに目的はあるけれど、そもそも「満足した気分になる」ために、人は物を求めるのだと。
当たり前すぎることかもしれません。しかし、これが管理人から物欲から手を離すきっかけになった認識でした。
スポンサーリンク
物欲は必要か?
人が生きるために、物は必要。
生命の維持に直接関わりのない物は、「よりよく」生きるために必要。
「よりよく」とは、「満足した気分になる」ことを言うのでしょう。
物欲とは、そのための手段のひとつでしかない。それこそ食欲とか性欲とか、いろんな欲が「満足した気分になる」ことに繋がります。
逆に言えば「満足した気分になる」ために、欲は存在していることになります。
買うことや、使うことに対してどーのこーの言う前に、物欲自体がひとつの手段なのです。つまり満足するためは「物」は、絶対的な条件にはなり得ないということ。
そこまで考えて、少し空虚な気持ちになりました。
「満足した気分になる」という漠然とした目標に対して「物を使うこと」というちっぽけな手段にばかり目を向けて。必死にやり繰りする己を鑑みて「ちいせえ・・・」と思ってしまうのも不可抗力でした。
物欲を抑えるため、代替案をだしてみた
物欲は、最終目標である「満足した気分になる」ことへのひとつの手段でしかない。そのことを知って、一通り空虚さを味わった直後、出てきたのは一つの新たな目標でした。
「物欲以外で満足した気分になることを考える」
片道2時間半の通学時間、週5日の授業、時給720円のバイトを週2のみ。
うまくやり繰りしているといっても、どこからどう見ても金欠大学生の現状に変わりない状況で、物欲に傾倒するのは賢い選択ではないと感じたからです。
できればお金を使わず、かつ気軽にできる「満足した気分になる方法」を探してみました。
どんなときに「満足した気分になる」のか。今までの自分の生活、出来事、価値観を振り返って考えてみました。
一番最初に脳裏に浮かんだのは、一ヶ月分の給料を分配するのに頭を捻っている自分の姿でした。
他の学生と比べても少ない資本。それをうまくやり繰りして、最高金額を貯蓄に回せたときの「うっし!うまくいった!」という気持ち。数々の選択肢から、最高の選択ができたと感じたとき、確かに自分は「満足した気持ち」になっていました。
その気持ちを、当時あえて「達成欲」と名づけました。
もともと目的意識は強い方。何のためにやっているかを大事にし、結果を重んじる性格を考慮したところ「何かを達成すること」に意義を見出す傾向があると分析しました。
これを利用するっきゃない!!
王道から斜め35度ほど逸れた節約術ですが、一旦アクセルを踏んだ鳥頭は止まることを知りません。
「ブレーキなんざ、ただの飾りよゥ!!」選択肢はもちろん「がんがんいこうぜ」。
ということで、物欲を断つため(金欠生活からおさらばするため)、具体的な戦略にそれらの内容を落とし込んでいきました。
具体的には
- 毎月の貯金額の目標を決める(それまでは「できるだけ多く貯金する」でした)。
- 何かしらほしいと思ったときには、代替できるものがないか考える。
- 週ごとに目標を定め、それに則した行動をする(後のついたち活動)。
みたく、物欲から達成欲に移行するような形に目標を定めました。
社会人になったら絶対一人暮らしするんだ!と固い決意があった当時の鳥頭。大学でそのための資金をせっせと貯める事に専念する形になりました。
今見返してみても、結構ガチガチなルールですが、個人的にはこれが大当たり。
結局このままスムーズに物欲がなくなっていったのでした。自分でもびっくりでしたね。。
まとめ
管理人が物欲を断つ過程で気付いたことは2つ。
物欲は「満足した気持ちになる」ためのひとつの手段でしかないということ。
そして、「満足した気持ちになる」ことは、様々な方法で達することができる気持ちであること。
結果的に「修行僧かよ」とつっこまれるようなルールまで掲げてしまったのですが、心の中は穏やかでした。不思議なことに我慢してないんですよね。
物を求めずとも、生活を、そして心を満たせるものがあると気付いたから。
物がないと満たされない。所有することでやっと幸福を得ることが出来る。そんな場所から己を引き剥がすことができたから。
一種の悟りか?なんて自分でも思ってしまいますね。
けれど、本当は物なんて、皆ほしくないんですよ。
「満足した気持ち」に浸りたいだけなんです。そのための一番手っ取り早い手段が「物欲」なだけ。
物を買った満足感か、甲子園で優勝した満足感。
比べるまでもなく後者の方が大きいですよね。ならば、そっちを狙えばいいだけの話です。
買って終わりの満足感より、思い出すだけで心が熱くなるような体験の方が強いです。
ものを集める満足感より、自信を失いそうになったときしっかりしろと背を叩いてくれるような思い出が価値があります。
どこまでいっても満たされない欲を追いかけることではなく、自分のやってきたことへの自信や自負が、あなたの本当に欲しいものではないですか?
たとえ、それが難易度の高いことだったとしても。
届かないかもしれないことだったとしても。
けれど、それらを見据えて手を伸ばしている過程って、物欲なんて目に入らないはずです。
物欲断ちした人ってそれに気がついた人なんじゃないかって個人的には思います。
みんなどうなんですかね。。?
スポンサーリンク