「人の不幸は蜜の味」という言葉があります。
読者の皆様にも、街でいちゃいちゃしたリア中を見つけたら中指を立てたくなる人種がいらっしゃるのではないでしょうか。「リア充は爆発して地獄へ落ちて箪笥の角に小指ぶつけろ」なんて呪詛を吐きまくる人、怒らないから黙って手を挙げてくださーい。
・・・管理人ですか?んなちっちゃいことは思わないですよ。鳥頭の心は瀬戸内海くらい広いと有名なんですからね。おまいら頭が高いぞ!!
何はともあれ、人は他人の不幸を喜ぶ気質を持っているようです。ここまでずっと他人の幸せに嫉妬する人を見て、「みんな心狭いな、鳥頭見習えよ」と思っていました。
それが最近になって、「人には自分以外の人間に不幸を求める本能のようなものが自然に備わっているのではないか」。そんな風に思うようになりました。
そうでなければ「ロミオとジュリエット」は今も名作として語り継がれていません。
昔から人は人の不幸を演劇にして晒し挙げることを娯楽としていたわけです。
「現代の人の心の貧しさが~」とか「競争社会におけるストレスが~」という話ではなく、もっと人の中に根差したものが「人の不幸を喜ぶ」という現象を形成しているのです。
本日のテーマは「人は何故他者に不幸を求めるのか」です。ゆっくりしていってね。
- 他人の不幸を喜ぶ理由
- 他人の不幸を喜ぶ人の特徴
- 「他人の不幸が嬉しい」「他人の幸せが嫌い」そんな気持ちこそ、自分の幸せになるためのヒント
- 他人の幸せに嫉妬する人・他人の不幸が嬉しい人が絶対やってはいけないたった一つのこと
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他人の不幸を喜ぶ理由
人の不幸を喜ぶことは「自分より幸せな人が許せない」という心理のあらわれです。
要は幸せな人の足を引っ張って「抜け駆けは許さんぞ」と脅している感じですね。
なぜそんなことをするのか?それはみんなで幸せになってしまえば、自分が幸せだとわからなくなってしまうからです。
幸せというのは、他人と比較してはじめて存在を認められるもの。誰かしら、自分より不幸な人がいないと実感できない弱いもの。それが「幸せ」だとされています。
人は「幸せ」に対して、絶対的な実感をするわけではなくて、相対的に実感するんですよね。人と比較してやっと「自分は幸せだ」と実感できるのであれば、不幸な人が溢れれば溢れるほど幸せの実感も強くなるということです。
そりゃ、他人の幸せを疎む人が出てくるわけですね。
他人の不幸を喜ぶ人の特徴
「人の不幸を喜ぶ」という心の動きは、自分が幸せだと実感したいという願望が素になっています。さらに言うと、人の不幸に喜びを強く見出す人ほど「幸せになりたい願望」が強い人だといえます。
性格がひん曲がっているとか、心が穢れているとかいうわけではなく、単に「幸せ」に対して感心が強いだけなんですよね。
株価が上がって一喜一憂するのは、株を持っている人だけです。関心のない人にとっては、自分の会社の株価が落ちても平然としていられます。大暴落して存続の危機を感じる程度になってやっと焦るかもしれまんせんけどね。
「幸せ」っていう代物が絶対的なものではなくて、相対的なものである以上「他人の不幸を喜ぶ」という心の動きが生じるのは当然のことです。
「他人の不幸を喜ぶ気持ちが強い人」ほど、幸せに貪欲に生きているんです。自分の生き方にストイックなんですよ。
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「他人の不幸が嬉しい」「他人の幸せが嫌い」そんな気持ちこそ、自分の幸せになるためのヒント
自分の中に「人の不幸を喜ぶ心」を認めたとき、やってはいけないのは、その気持ちを否定することです。
他人の幸せを嫉妬することを、世間ではあまりいいこととは捉えません。しかし「あーだめだ、だめだ!!人の不幸を喜ぶ自分とか最低やんけ!!」と気持ちを訂正しようとしたところで、思ってしまった事実は消えません。
無理矢理自分に嘘付いて、「こう思うべきじゃない」「こう感じるべきことだ」と本音を変形させてしまうことが一番よろしくないです。
幸せを追求する真摯な自分。まずはそんな自分を肯定しましょう。そしてどんなことを自分が望んでいるのかを知りましょう。
他人の不幸が嬉しいのなら、それを通じて自分が価値を見出していることは何か考えてみましょう。
友達が恋人と別れたことを喜んでいるなら、恋人がいる人が羨ましいんです。
就活がうまくいかない人を内心で嘲笑っているなら、スムーズに自分の就活が進むことを望んでいるんです。
上司から怒られて落ち込んでいる同僚にほくそ笑むなら、怒られずに仕事をすることに価値を見出しているんです。
他人の幸せに嫉妬しているなら、自分の感じている願望が何か考えてみましょう。
友達に彼氏ができたことに嫉妬しているのなら、彼氏がほしいと感じています。
宝くじをあてた人を羨んだのなら、楽してお金を手にしたいと感じています。
街を屯するリア充にいらっとしたなら、自分も同じようになりたい思っています。
自分がどうなりたいと思っているのか。
それを明確にしてみましょう。自分の幸せにストイックな人は、願望を具体的にしてやれば、まっすぐに進んでいけるポテンシャルを持っています。
嫉妬心を否定し、感じ方を強制するのではなく肯定し、自分の願望に向かっていく原動力にしていきましょう。
※じゃあ具体的にどう具体的にしたらいいの?っていうのは別記事で書く予定です。お楽しみに※
他人の幸せに嫉妬する人・他人の不幸が嬉しい人が絶対やってはいけないたった一つのこと
他人の不幸を喜ぶ気持ち。それ自体は否定するべきではありません。
しかし、この気持ちが暴走すると、大事な人の信用を失ったり、願望とは逆方向に突っ走ってしまったりと、かえって幸せから遠ざかってしまいます。
そうならないために、「やってはいけないこと」をちゃんと把握しておくようにしましょう。
その「やってはいけないこと」とは、自分の幸せのために人を蹴落とすこと。
たとえば、友達の彼氏が羨ましいからといって、その彼氏をNTRすること。
一攫千金当てた人を騙して、お金を掻っ攫うこと。
そういったことは絶対してはいけません。やったらくず野郎だからな。人間のごみだからな。「だって欲しかったんだもん・・・」じゃねーからな。
他人は良くも悪くも自分の鏡です。
「あの友達のような、イケメンの彼氏がほしい」という願望を勘違いして、友達が今収まっている彼女ポジションに収まりたいのだと感じてしまう人がいるようです。
でも、実際付き合ってみたらわかるんですけど、なんか違うんですよね。
自分は「友達と同じような類の幸せがほしい」だけで、「友達の幸せ」そのものがほしいと思っているわけではありません。
「自分の幸せ」の具体的な形を考えることを放棄して、手っ取り早く自分を満たそうとしているだけ。「いいなー」と思っているだけならいいものの、それを行動に移してしまえばただの盗人です。
身に覚えがあるんじゃないですかね?他人の持っているが羨ましくて、自分も同じものを買ったけど、なんか違うっていう感覚。結局他人に対して「いいなー」と思っているのは、「他人がそれを持っていることによって実現しているであろうこと」が羨ましいだけなんですよね。
それに気がつかない人が「隣の芝は青い」なんて知ったようなことを言うだけです。
他人の幸せに嫉妬する気持ちが強い人ほど身を滅ぼす、というのはこういうことです。
正確に言うなら、他人の幸せに嫉妬する気持ちがだめなんじゃなくて、「他人と同じような幸せを求める余り、自分の幸せについて思考を停止して行動すること」が危険なのです。
「嫉妬」とか「悔しさ」とかって本来いい感情です。 だめなのは思考を停止する自分。勝手に感情に流されてしまう自分です。その辺ちゃんぽんにしないようにしましょう。
感情は使いよう、ですよ。
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