なんでそうなったかは全然覚えていないんですが、友達と話していて「ジャイアンってかっこよくね?」という話になりました。
途中まで「それな」「ほんまそれ」と相槌を打っていた鳥頭ですが、途中から「んんん??」と思う箇所があったり「それは違う」と反論する場所がありました。
うまいこと伝えられなかった当てつけで(?!)今日は「ジャイアンの本当にかっこいいところ」をテーマに記事をお送りします。完全にチラ裏ってやつです・・・なんでこうなったのか。
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ジャイアンって絶対に友達見捨てないよね
・・・この歳になると、人間関係がどうやって結びついていて、どうやって解けるのか。そういったことが少しだけ見えるようになるんですよね。
ジャイアントのび太は、いじめっ子といじめられっ子として描かれています。しかし、一方で根っこを辿ればその関係は「ただの友達」として繋がっているんだよなーという結論に落ち着きます。
のび太がどんなに野球が下手でもジャイアンは野球に誘います。そのせいで試合がぼろ負けしても、どれだけのボールがいくつ茂みに消えても、どれだけハラワタが煮えくり返ろうとも。当事者であるのび太が嫌だといってもジャイアンはのび太に声をかけ続けます。
ジャイアンがのび太に声をかけるのをやめることは、ありません。
子供の頃は不思議だったんです。じゃあのび太誘わなかったらいいやん。他にも野球一緒にやる人ぐらいいるんじゃねーの?って。
この理由がはっきりわかったのは大人になってからなんですが。ジャイアンは「誘う人がいなかったからのび太を誘っている」わけではなく「のび太を見捨てない」と決めているからのび太に構い続けるんですよね。結論から言ってしまうとジャイアンのかっこいいところはこういうところです。
映画の中のジャイアンがやたら格好いいのって、映画特別版のジャイアンが描かれているわけではないと思います。むしろあれが彼の本性。のび太がどんな奴であっても見捨てない。その姿勢がちゃんと表出されるのが、映画で一度ぐらいやってくる、後にも先にも退けないピンチの場面なんですよね。
映画版ジャイアンが格好いいんじゃなくて、ジャイアンの信念がわかりやすく表現されているのが映画といったほうが正しいと思います。
もう有名な話ですが、こんな物語があります。
「おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの」ジャイアンの決まり台詞のルーツにせまったお話です。
暴君の名言化していた台詞ですが、のび太が失くしたランドセルを死に物狂いで取り返したジャイアンが言った台詞となれば、相当深い。このエピソードで「ジャイアン抱いて!!」と思ったJSは多いんじゃなかろうか。
【感動】ジャイアンの名言「お前のモノは俺のモノ、俺のモノは俺のモノ!」 はこんなに感動する話から! - NAVER まとめ
ジャイアンの性格や秩序を見る限り、ジャイアンは「たまーにいい奴になるガキ大将」ではなくて、自分の生き方を一貫して貫いているだけなんですよね。
損得勘定では図れないジャイアンの魅力
たまにかっこよく主人公を助けてくれる。だからジャイアンはいい奴。友達の評価はこうでした。個人的に一番の「意義あり!」ポイントです。
アニメとかでの「悪役」は主人公の前に立ちふさがる障壁を言います。その人物がどんな悪いことをしているかではなく、主人公視点で敵と見方に分類しているだけなんですよね。殺人鬼であっても悪魔であっても、主人公サイドであればまるで「いい奴」みたいに描かれます。
ドラえもんはのび太目線で描かれたお話。ジャイアンはのび太をいじめるポジションの登場人物。だからこそ「いやなやつ」として描かれているわけです。
「ジャイアンはいいやつか悪いやつか」
その議論って実は意味ないです。ジャイアン自体にいい・悪いがあるわけではなく、周りの人間の都合によって「いい」「悪い」は生まれます。
あとは、主人公にとって都合のいいことをしてくれた=いいやつ。という図式が個人的に好きではないんですよね。。「自分にとって利益をもたらしてくれるから好き」っていう損得勘定ばかりに目を向けている感じがして。
ワンピースって頂上戦争編でエースの処刑をクロコダイルが阻止したシーンをみて「おいおいおいおい」って突っ込んでしまった管理人です。今の一撃で株は上がっただろうけど、ただのお助けキャラに成り下がった感があったよクロコダイルさん。。「お前さんの秩序はどこいったんだよ!」と思ってしまうひねくれ野郎こと鳥頭です。
不良が猫拾ったところで、不良は不良。素行の悪さがそこで相殺されるわけでもなく、誰かの評価が変わるわけでもないんですよね、本来は。
でも世間ではちょっと模範的な態度を取った不良を「いいやつ」と短絡的に評価してしまう部分があります。
「いい」「悪い」「善」「悪」。。その人のことをちゃんと知ってからしか出せないはずの結論を、一部だけみて下してしまうことに違和感を覚えるのは管理人だけでしょうか。。
ジャイアンもジャイアンたる生き方をしているだけで「いいやつモード」「悪いやつモード」と切り替ながら生きているわけではありません。ジャイアンのいいところは、もっと違うところにある。今日声を大にしたいのはそんなお話です。
ジャイアンの魅力の正体は「見捨てない軸」
ジャイアンのいいところは「自分の軸がしっかり確立されているところ」です。
「軸」とはそもそも何かというと「自分が何かを考え、行動する上でその動機になる概念」のことです。せっかくなので、軸を持っている人と持っていない人の違いはどこか説明しておきましょう。ざっくり言ってしまうとそれは、考え方の切り口の違いです。
一貫した軸を持っている人って、考え方がめちゃくちゃシンプルな構造をしているんですよっと。
人が意思決定を下すとき、損得勘定や条件、気分からメリットデメリットに整理すると思います。事前に得られる情報を考慮し、天秤に掛けどちらに傾くか。できるだけたくさんのものを天秤に乗せて人は意思決定をします。
いろんなことを加味できる視野の広さ。それが優秀であれば優秀であるほど、人は迷うんですよね。
まだ天秤に乗せられる要素があるような気がする。先のことを考えたら、こっちの選択でもありな気がする。。みたいに考えられる基準が多いほど迷う要素も増えるわけです。軸がない、もしくは弱い人で視野が広い人ほど迷いやすい傾向にあります。
自分の軸で考える人って、この点がめちゃくちゃシンプルなんですよね。
自分の軸を「有名になりたい」と設定している人は「どっちの選択肢が有名になれるだろう」と自分に問いかければいいだけの話です。軸を「人に楽しい感情を提供できる立場でありたい」というのであれば「どっちの選択肢がそれに近いだろう」。そんな風に迷ったときに立ち返れる軸があると迷うことってそれほどないようです。
ジャイアンのかっこいいところは小学生にも関わらず、自分の軸をしっかり持っているところだと思います。
個人的に思うジャイアンの軸は「友達を見捨てない」。
たとえ人がそれで傷付こうと、それで自分が不利益を被ろうと。絶対にジャイアンは友達と認識した人を見捨てないんですよね。それがのび太のような残念な子であっても、何が何でも関わり続ける。そう決めたからこそ遂行する。
これがジャイアンの軸です。・・・ちょっとかっこよくないですか?
誰かを助けたいという願い。原動力は「無知」か「使命感」か
のび太からして迷惑極まりない話かもしれません。善意の一方通行なわけですから、こっちの話も聞けよ!と言いたくなると思います。
結局どんな厚意があったところで最終的にのび太へのやつ当たりになってしまうのだから、褒められたことではもちろんありません。のび太がいじめによって自殺したら、一番に責められるのはジャイアンです。彼の行動でのび太が傷ついているという結果がある限り、彼の行動も正当化できません。
けれど、この年になって、明確な善も悪も存在しないことを知ってしまった身としては、ジャイアンの行動ってすごく眩しく思うんです。
どんな行動しても傷つく人がいる。どれだけ言葉を尽くしても、助けられない人がいる。そんな中で独善的な行動を取り続けられる人って、すごく勇気のある人だと思います。純粋と言ってしまえば平たいですが、これはかえって迷惑かなとか、いろいろ考えてしまう前に行動できるのは「助けなければ!」という使命感なんですよね。
ジャイアンの場合、無知ゆえの純粋さな気がしますが。そんな風に行動できる人を眩しいと思えるあたり「自分も大人になったんだなー」なんて思ったり。
・・・大人になってから、子供の頃好きだったものを見返してみるといろんな発見があります。アンパンマーチの深さに愕然とした大人の話はよく聞きますよね。個人的にジャイアンの存在も、考えさせられるなと思ったので記事にしてみました。完全なチラ裏です(大事なこt(ry)。
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