鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

「昔の日本の公衆道徳が優れていたっておかしい」っていう意見がおかしい

 

現在話題になっているツイートでこんなものがありました。

 

 

 

ツイートを読んでいてなんかいろいろ考えさせられたので、今日はそれに関する記事です。ゆっくりしていってね。 

 

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「昔」と今。日本の公衆道徳が優れていたのはどっち?

「昔」の日本ってのはいつのことだか明確にはわかりませんし、「公衆道徳」っていう言葉もはじめて聞きました。正直あんまり意味分かっていません。よって一例を出して「せやな」とも「違うで」とも言えない鳥頭です。

 

「公衆道徳」に関しては、「マナー」とか「秩序」とかそういう意味なのかなと文脈から解釈してみました。各世代の「公衆道徳」が集約されたものが「マナー」とか「秩序」とか?そんな感じ?でもうまいこと説明できないので「マナー」「秩序」の要因として話を進めます。

 

そして「昔」というのはツイートでいう「ジジババ」という文言から、定年を迎えた世代あたりの若い頃と解釈しました。

間違っている場合は痛いですが、とりあえずそういう意味だと解釈して進めたいと思います。全然解釈が間違っている場合は笑ってやってください。

 

 個人的に気になるのは「どうしてこの類のツイートがここまで拡散されるに至ったか」という趣旨をずらしたところです。

 

「今の公衆道徳」と「昔の公衆道徳」はどちらが優れているか

若者っていう歳ではもうないかもしれないんですけど。

現在の同世代とかを見回してみて「最近の若者は~」みたいなことをメディアが報道しているのを見たりしている一人として。「叩かれるのはわかる」と世間の批判に納得している自分がいるのも事実なんですよね。。

 

ポケモンGOが流行った時期に公園がごみで溢れかえったという報道や、バカ発見器といわれたツイッターでのやりすぎた遊び、ハロウィンが終わった朝の公道の状態を見ている限り「これはあかんやろ・・・」と思わされることが多いです。

 

そんな報道を受けて「こいつらなんなの?」と思われても仕方ないことだと思います。若者のやらかし行為としてそれらが報道され、叩かれることに対しては自分でも仕方ないと思います。

 

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上記のツイートはそれに対して「いやいやいやいや。昔だって酷かったやで」と言っているわけですよね。

今のように喫煙可能な場所がちゃんと整備されていたわけでもなく、整備したとしても誰もが平気でルールを無視する。携帯灰皿なんてそもそもあったの?っていう状態の社会を生きていておいて、若者ばかりを否定すんなという主張。

 

これに対しても個人的には納得です。

 

若者のマナーの悪さを伝えたかと思いきや、年配の世代のカオスな行いも両方同じぐらい報じられていますからね。つーか若者のマナーの悪さは多少の無知があるだろうけど、マナーを知った上で無視して秩序を破り、言及されたら開き直る姿勢ってなかなか闇深くない??という意見に対しても「わかる」と思うし。

 

こういってしまえば元も子もないんでしょうけど、鳥頭の意見として「完全にマナーのなってる世代なんてないんじゃね?」ってところに落ち着きます。 

 

「今」と「昔」を比較する~「今の若者は・年寄りは」とかいう批判の正体~

逆に考えて、今の若者は昔に比べて喫煙する場所に考慮できます。携帯灰皿を常識のように持参し、スーパーではエコバックを持参し、と決められたマナーやルールを比較的しっかり守る能力はあると思います。

 

「昔」に関しては推し量るしかありませんが、交通事故よりも自殺者が多い世の中ではなかっただろうし、いじめ問題が蔓延ってもいなかった(あったとしても自殺に繋がるようなこともなく、いつの間にか解決していた感じ?)と思います。

 

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「昔」のマナーや秩序は、昔なりにしっかりしていたはずだし、今の人間にもいいところはちゃんとあります。今に欠けているところが「昔」にはあって、今にあるところが「昔」はなかった。

 

欠けているものを見つけては叩き合っている。それが「今の若者は~」「最近の年寄りは~」という批判ごっこの正体だと考えています。

 

若者は年寄りを憎むし、年寄りも若者を憎む

一番疑問に思うのは、こういうのってなんで「世代」丸ごと叩いてしまうんだろう?という点です。 

 

最近の年寄りだって意味の分からない輩はいます。でもいい人もいます。

最近の若者にだってどうしようもない輩はいます。でもいい人もいます。

 

管理人は「今の日本」に生きていますが、ポケモンGOやりながらごみ放置する人間は軽蔑します。最近の年寄りだって同世代の意味の分からない行いに対して嫌悪感を覚える人はやっぱりちゃんといてくれるからこそ社会は安定するわけです。

 

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「最近の若者は~・年寄りは~」と叩かれるような行為は一部のマナーの悪い人間から生まれたものであるにも関わらず、なぜか世代ごと叩く風潮があることに気持ち悪さを感じます。

 

それの最たるものが「今の日本の公衆道徳」と「昔の日本の公衆道徳」という比べられるはずがないものの比較。人の道徳観なんて比べようがない。そもそも「今の日本」「昔の日本」という大きい括りで何を論じているのか。それぞれにいるマナーのいい人の存在を無視して、究極のトチ狂ったマナーの悪さをもった人間を世代の平均のようにあげつらうことに何か意味はあるのか?と思います。

 

要はこのツイートが伸びまくっている理由って、結局「今」の人が「昔」を叩きたいだけなんだと思います。

「マナーのなっていない人間」vs「常識人」ではなく、「今の世代」vs「昔の世代」にしてしまえる捻じ曲がった解釈。そしてその世代の「公衆道徳」という計り知れないものの話になる。。

 

わざわざ曲解までして彼らは若い世代、あるいは昔の世代の人たちの何が憎いんでしょうか。まじでわからん。 

人への嫌悪感や憎しみは、本質を見る目を奪う

叩かれたことが憎む理由。そうなのだとしたらそれは憎しみの連鎖というやつです。

人を叩くことですっきりするならそのままでいいのかもしれません。目には目を、歯には歯を、バッシングにはバッシングを。それ自体を否定はしません。この世にある意見すべてが「正しい」と思うから。

 

完全に因縁を絶ち切ることも難しいでしょうし、人をレッテルから開放することも難しいことだと思います。個人的にもよくやってしまいますから、えらそーにはいえません。

 

それでもひとつだけ、聞いて欲しい言葉があります。

人への嫌悪感や憎しみは、本質を見る目を奪います。

 自分への戒めとしても心にそう留めておきたい言葉です。

 

 

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