鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

「才能」と「努力」はどちらが優れているか

最近、継続することだったり、習慣化だったりに興味が出てきた管理人です。

習慣というキーワードでおもしろい動画を見つけたので紹介します。

 

 

東方projectのキャラクターを使った動画。元ネタとかはわからなくても一応楽しめる内容となっています。

 

視聴する前の予備知識として。

・相談に来た女の子・魔理沙=努力家タイプ。

・相談相手・豊聡耳神子聖徳太子をモチーフにしたキャラクター。(ここでは太子と呼びます)

・幼馴染の霊夢(ここでは魔理沙は「あいつ」太子は「君(魔理沙)の友人」とか「博麗の巫女」と表現しています)=天才型。本編では主人公であり、俗に言う主人公補正がかかっている。

ぐらいの知識だけあればおk。

 

動画見てね!で終わらせてもいいけど、ブログに貼った動画って見ない人多そう・・・という偏見により文章にも書き起こしてみる。途中まで読んで「あ、これはおもしろいやつ!」と思えれば動画に戻っていただければ幸い。うp主様の一ファンとして、この動画に共感した視聴者として。もっとマイリス増えて欲しい!という気持ちから布教します。

 

※記事内に使用している画像は動画内のスクリーンショットです※

※あくまで動画の宣伝として書いた記事となっております※

※うp主様や他の視聴者様が不快になられるようなコメント等は絶対にやめてください※ 

 

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「天才」とは何か

努力と才能の話をするうえで「天才」という言葉に触れている箇所がある。以下冒頭より書き起こし

 

た「努力と才能の話をしよう」


は「・・・は?」

 

た「「は?」ではないよ 君が私を訪ねたのだろう 君の欲が尋ねたのだろう?「努力と才能はどちらが優れているのか?」と」 

 

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すでに魔理沙が置いてけぼりになりかけているけど、動画全体的にこんな感じ。この点については「慣れて!」と言っておくに留める。

 

た「いやはや相談相手として私を選んだ君の判断は正しい 数年間考え抜いた新技を友人に披露してみれば 秒で破られた君にしては 素晴らしい判断だと言わせてもらおう」


ま「すでに後悔してるぜ・・・あんたに相談したことを」

 


た「ふむ・・・時に君は努力と才能が何かを理解しているかい?」

 

ま「何って・・・「努力」は・・・頑張ること?「才能」は・・・生まれ持った何か・・・?」

 

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た「素晴らしい!何とも砂糖菓子のようなふわっとした答えだ! 君はその程度の認識で 「努力も続ければ才能に勝てる」だとか「才能の差は決して覆せない」 なんて言葉を鵜呑みにしたりあまつさえ口にしてきたのだろう?」

 

ま「・・・そうだな いわゆる天才の太子様にはおかしく聞こえるだろうぜ」

 

た「ふむ・・・ 一つ訂正しよう メディアが呼ぶ私の「天才」という肩書きはね 「努力」も「才能」も一切関係ないものだよ」

 

ま「どういうことだ?」

 

た「簡単なものさ 費やしてきたであろう年月に対し 達成された偉業が大きければ それでメディアは天才と囃し立てる」

 

ま「完全な成果主義ということか?」


た「むしろ重要なのは見かけ上の年月さ 私のように若ければ 実際は数十年かけた泥臭い結晶だろうと天才と謳われる 仮に・・・同じことを五十歳の私が達成したとしてもメディアや大衆は私を天才とは呼んでくれないだろうね」

 

「天才」=「才能があるやつ」ではなく。「天才」=「少ない期間で大きな偉業を達成した人」というのが世間の定義だという話。

 

たしかに天才も20過ぎればただの人、みたいな言葉も聞いたことあるかも。定義上に出てくる「短い期間」とは本人が「これぐらいの期間でここまでやってきました」という申告でどうこう言われるわけではなく、推測で語られるからこそ、大人を天才と呼ぶことは少ないのかな。と。

 

 

「努力」と「才能」とは何か

「努力」「才能」とは何たるか。動画内ではこんな感じで太子と魔理沙がやり取りしています。 

 

 

た「時に君は言葉というのが足りな過ぎると思ったことはあるかい?」

 

ま「(中略)・・・結構充実していると思うぜ 特に困った覚えはないし」

 

た「「YE」・・・だ」
ま「はい?」

 

た「「YES」じゃない 「YE」だよ 五十音順で並べるなら「ゆ」と「よ」の間だ」

 

ま「「ゆ」と「よ」の間は「え」だろ?」

 

た「昔はあったんだよ 発音も自然にできるものだろ思うんだけどね」

 

ま「(中略)・・・いや 何の話だこれ」

 

た「「努力」と「才能」を比べるには言葉が足りないという話だよ」

 

ま「もう忘れられていたのかと思ったぜ・・・それで・・・どういう意味なんだ?」

 

た「ふむ ピンクマークだらけの君の脳内辞典を私の言葉で塗り替えたま

 

え あまりにも曖昧な君の「努力」と「才能」を私がこう定義してあげよう」

 

た「「努力」とは「目的のための有意識行動」であり「才能」とは「無意識行動によって得られたもの」だ」 

 

「努力」=「目的のための有意識行動」

「才能」=「無意識の行動によって得られたもの」

この動画の核ともいえる概念。

 

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「努力」「才能」を意識の有無でわけたところが非常におもしろい。努力しているかどうかは自覚が生じるけど、才能は無意識のうちに生み出されるため自覚が生じない。素直な定義ではないのかもしれないけど、「努力」と「才能」の本質を捉えた定義の仕方だと感じる。

 

しかし、この定義で「努力」と「才能」を比較するとなると無理が出てくる。それが以下のお話。

 

 

ま「・・・「努力」は過程で「才能」は結果・・・ だから比べにくいということか?」


た「・・・驚いた・・・」

 

ま「馬鹿にしてるのか?」

 

た「するまでもないと思っていたよ」

 

ま「~~っ」

 

た「君の言うとおり・・・そして両者を比べるなら同じ次元で話をするべきだ あまり適切な言葉ではないが存在しないものは仕方ない ここでは「努力」によって得られたものを「成果」 「才能」にいたる行動を「習慣」と名づけよう」

 

ま「「努力」と「成果」 「習慣」と「才能」・・・か 関係は分かったけどそれぞれが何なのかイマイチよくわからないぜ」

 

比較するためには同じ次元に物事を置き換えなければいけない。「努力」が過程で、「才能」が結果であるならば、「努力」の結果生まれたものと「才能」。「才能」が生まれる過程と「努力」 を比較する必要がある。

 

「努力」の結果生まれたもの=「成果」

「才能」が生まれる過程=「習慣」

ここではそう定義された。

 

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「習慣」という無意識の行動で「才能」が生じる。

「努力」という有意識行動で「成果」が生じる。

この動画での核となる考え方その2だな。とりあえず「努力」と「才能」を比較するための準備が終わった。次からはそれぞれが一体何なのか、実例から見ていく。

 

「努力」と「成果」、「習慣」と「才能」とは

「努力」「成果」「習慣」「才能」それぞれがイマイチ何なのかわからない魔理沙に太子はひとつの出来事を挙げます。 

 
た「ふむ・・・妖怪の山で先日催された天狗レースは知ってるかい?」
ま「知ってるぜ 文の圧勝だったな」

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た「では問おう 彼女の勝利は成果と才能のどちらに起因する?」

 

ま「・・・才能か?他の天狗たちは毎日練習しているのを見たけど文はいなかった・・・ 文の「才能」が天狗らの「努力」の「成果」を上回った?」

 

た「まるで君と友人のように?」

 

ま「・・・まぁあんたに優しさなんて求めちゃないけどさ・・・」

 

た「重畳 ちなみに彼女は毎日幻想郷の端から端まで飛び回っているそうだよ」

 

ま「? つまり文も影ながら努力をしていた・・・成果によって優勝したってことか?」

 

た「ところが彼女の優勝コメントだ」

 

文「努力?いえ特に下覚えはありませんよ」

 

ま「・・・いるよな~ 努力をひた隠しにして余裕ぶるやつ」
た「いるね 別にどこかの誰かさんみたいに・・・とは言わないけれど しかし彼女は嘘を吐いているつもりはないよ」


ま「どういうことだ?」

 

た「彼女は昔から多くのネタを探すために毎日幻想郷中を飛び回っていたんだよ 日課となった今の彼女には 「頑張っている」という意識すらないだろうけどね」

 

ま「つまり・・・無意識の行動・・・「習慣」か? そしていつの間にか手に入れた速さという「才能」で天狗レースを優勝した?」

 

た「そうだね 彼女の才能が他の天狗たちの特訓という努力の成果を結果的に上回ったんだろう」

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天狗たちが開催する速さを競うレースで、文という天狗が優勝した。その出来事に太子は触れます。

傍目に「努力」している光景が見えなかった。だから速さは「才能」ではないか。そう考える魔理沙。自分のことですね、わかります。

 

文の「習慣」を注視してみると無意識のうちに速さを獲得できることを無意識にしていたんだな。他の天狗たちのように「努力」をもって得たものではなく、「習慣」によって得られたもの。そういう意味で文の速さは「才能」である。そんなところ。

 

 

「成果」と「才能」の違い

天狗レースは文の「才能」が他の天狗の「成果」に勝ったことから、魔理沙はある結論に行き着きます。

 

ま「・・・結局・・・才能は成果・・・努力に勝る・・・か?」


た「おやおや 一を聞いて十を知るなんて言葉はあるが 二から九をてきとうな答えで埋めて すべてを知った気になられても困るよ」

 

ま「・・・そうだな・・・悪い・・・続きを話してくれ」

 

た「あ~喉が渇いたな~ 喋りっぱなしだからね~」

 

ま「・・・(イラっ)」

 

 ~~きゅうりビールブレイク~

 

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飲み物のチョイスw


た「それで・・・何の話だったかな?」


ま「努力は才能に勝てるのかっつう話だぜ」

 

た「おや?いつの間にか努力サイドを応援しているね」

 

ま「・・・もう そういうのはいいから」

 

た「ふむ そうだね・・・「努力」にも才能の源となる「習慣」にも面白い特徴がある 先にそちらを話しておこうか」

 

ま「おぉそれは?」

 

た「おっと そういえば・・・天狗の彼女は別に努力をしていないわけではないよ」

 

ま「・・・・・・ここまで来たらどれだけ話が逸れようと付いていくぜ・・・ 文は習慣による速さという才能で優勝したんじゃないのか?」

 

た「言っただろう?「ネタ探しのため」と 彼女は「幻想郷中を飛び回る」という「努力」で 「多くのネタ」という成果を手にしていたよ まあすでにその意識も薄れて飛び回ることは習慣 速さも多くのネタも才能の一つになっているだろうね」

 

ま「「努力」と「習慣」は表裏一体ってことか?」

 

た「意識の有無の差だからね 他人には・・・いや「無意識を意識する」ことでもできなければ 本人だってどちらか分からない」

 

ま「なるほど」

 

「才能」を持つ人は「努力」をしていないか、というとそうではない。何かをやろうと有意識のうちに決意して行動すると、それは「努力」と分類される。

その一方でその「努力」が無意識のうちに思わぬ結果をもたらすことがある。それが「才能」。

 

文が有意識のうちにやろうとしたこと、それが「多くのネタを集める」こと。これは文の「努力」。結果として「多くのネタ」という「成果」を得る。

その一方で、「幻想郷中を飛び回る」という「習慣」が確立され、結果として「速さ」という「才能」を意図せずに得ることになった。

  

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ううむ、おもしろい。

「努力」 によって得られる「才能」もあるわけだ。ただし、それは無意識によるもので本人が意図していないことだけになるけど。

 

たとえば、モテたいという人がいたとして。

「スノボーできればモテるっぽいぞ!」とスノボーの練習し始めるのは「努力」。スノボーがうまくなることが「成果」。

一方「スノボーをする」という「習慣」によって体が鍛えら強靭ボディになったなら、それは「才能」。

ただし、「スノボーできればモテるっぽいぞ!」と思った段階で「スノボーで強靭ボディになってやるぜ!!」という意識があれば、分類的には「成果」になるわけだな。

 

太子も言っている通り、「成果」と「才能」はわけにくいものなんだな。

 

「習慣」のすごいところ

ここまできてやっと太子は魔理沙の悩みに触れます。


た「ところで君の友人は努力家だったのかな?」

 

ま「・・・分かっていて聞いてるよな・・・「努力」どころか・・・「何もしない」やつだよ」

 

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た「だろうね 本人の意思はどうであれ 傍目に努力と映るような習慣があるなら 君もこんな相談をしに来なかっただろう」

 

ま「あいつのことはガキの頃から知ってる・・・だけど・・・「習慣による才能」というより あんたの話を否定するような「持って生まれた才能」があるとしか思えないんだ 「生まれる」という習慣で得られる才能なんて 環境と種族選別くらいさ 誰だって他のものは基本的に努力か習慣で手に入れるし 時に生まれの才能すら努力で変えられる だけど・・・っ!」

 

所謂主人公補正ってやつだよ、魔理沙!という言葉を飲み込みつつ「なんかわかるわ~」という感じが拭えない管理人です。こんなにやってんのに、全然やってないように見えるあいつの足元にも及ばないなんて・・・!みたいな経験は身に覚えがある人多いんじゃないかなと。

 

 このブログでの人気記事の中に「なぜか勉強できる人の特徴」について取り上げた記事があります。

www.abaretoriatama.com

検索エンジンからのアクセスが多い記事で、2月4日現在、閲覧数2位に位置する人気記事。思わぬ反響を頂いてます。やっぱり「なんであいつばっかりできるんだ・・・」という悩みは持ってる人多いのかなと思ったりしてる。 

 

魔理沙の悩みも同じだったわけだな。鳥頭の記事見においで、魔理沙

というまもなく、太子にこんなことを言われます。

 

 

た「十年と十ヶ月」

 

ま「・・・は?」

 

た「君が十ヶ月 君の友人が十年 てきとうではあるがこれが君たちが弾幕ゴッコに必要な能力を磨いた時間だ」

 

ま「なっ!」

 

た「弾幕ゴッコに必要な能力が何かまでは知らないけれど まあ細かく見ていけば日常で鍛えられるものは必ずあるだろう 弾幕ゴッコの才能は弾幕ゴッコ以外でも得られるからね」

 

ま「十ヶ月じゃない!私だって十年間必死に―」

 

た「では二年だ」

 

ま「!」

 

た「熱心だね 一日の五分の一を十年間毎日弾幕ゴッコのためにささげ続けているのかい?」

 

ま「・・・っ ・・・あいつが十年ってのは・・・?」

 

た「ふむ 誇りたまえ 私が君の友人を初めて見た時 天才という言葉は君の友人のためにあるのではないかとさえ思ったほどだ」

 

ま「・・・他人や過去を誇れるほど枯れてないぜ」

 

た「青いね 素晴らしい 十年とは弾幕ゴッコに関する習慣を続けているであろう時間だよ」

 

弾幕ゴッコとは東方の作品内で行われる弾幕による戦闘を示す言葉。「弾幕・・・戦闘・・・?」ってなった人はぐぐってください。特にここではどういったものか触れていないので「そういう競技があるんだなー」という認識でおk

 

いきなりえぐってくるな聖徳太子

十年間努力してきた自負のある魔理沙に痛恨の一言。こうかはばつぐんだ。

 

魔理沙に対して「一日の五分の一を費やした」と計上したのに対して、友人霊夢は「十年間」と計算。

一日の五分の一ならば、一日5時間ぐらい。相当立派だと思うし、これ以上やろうとなるとちょっとキツくはある。なのに対抗馬は十年。これは一体どういうことなのか。

 

「努力」と「才能」どちらが優れているのか

十年間、習慣として弾幕ゴッコに捧げてきた、その言葉に魔理沙は言及します。

 

ま「・・・どんな習慣だ?」

 

た「ありとあらゆる・・・さ」 

 

た「誰だって針に糸を通す時は全神経を研ぎ澄まし 初デートでは数多の思考を巡らせ ライバルの前では張り裂けそうなほど力を振り絞る しかし君の友人はその水準を一秒たりとも下回ることなく日常としている 「習慣」としている」

 

ま「・・・」

 

た「かつてはかくあるべきといった努力だったのかもしれないけどね」

 

ま「それを・・・十年・・・絶えず・・・?」

 

た「そこが「習慣」の面白いところだ 有意識の努力とは違い 無意識の習慣は絶え間なく続く それこそ意識して「努力」している時間を除いてね」

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無意識であるが故、本人に弾幕ゴッコの能力を上げている自覚はない。しかし「習慣」となったそれらは、絶えず能力を養い育て続ける。だからこそ十年間耐えず自分に課すことができた。

 

有意識で行う「努力」とはそもそも構造が違うため、かける時間では「努力」は「習慣」を上回れない。霊夢は自分の習慣すべてを、高い水準で弾幕ゴッコに捧げていると太子は言う。魔理沙がどんどん居た堪れなくなってくる。

 

「努力」と「才能」優れているのはどっち?

 結局「努力」って「才能」には及ばないの?そんな想いが出てくるね。

ま「・・・」


た「よかったじゃないか」

 

ま「・・・何が」

 

た「負ける理由が欲しかった」

 

ま「!!」

 

た「「十年間必死に頑張ってきた・・・だけどあいつにあっさりと負けた・・・何故だ?! 何の苦労もしていないやつが 生まれついての才能だけで凡人を嘲笑うのか!所詮努力じゃ才能には敵わないのか?!」と・・・いうのが私に相談に来た君の胸中だろう」

 

ま「・・・っ」

 

た「よかったじゃないか 努力だとか口にするだけのやつより いわゆる才能にあふれたやつらは無意識ながら 君の何倍もの時間を費やしているんだ 負けるに足る理由はできただろう?」

 

ま「・・・がぅ・・・」

 

た「せっかくだ 歴史に才人として名を残し 君の友でもある私の口から聞かせてあげよう 努力と才能 優れているのは―」

 

ま「ちがう!!」

 

た「・・・何が違うんだい?何を否定したい?「努力」か?「習慣」か?「成果」か?「才能」か?」

 

ま「・・・ないっ・・・」

 

た「ん?」

 

ま「負けるつもりは・・・ない!」

 

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ま「たとえ私に弾幕ゴッコの才能がなくても!」


た「・・・ふむ」

 

ま「たとえ努力より才能が優れているとしても!わたしが負ける理由には・・・諦める理由にはならない!」

 

た「・・・・・・ふむ(中略)私は努力より才能が優れているといった覚えはないよ」

 

ま「・・・へ?」

 

どうやら結論を出すのは早いらしい。 ここまでボロクソ言われれば「結局才能かよ・・・」という結論にもなりそうなものだが。

 

「努力」と「才能」を決めるのは「欲」

結論を後回しにして、再度「努力」と「才能」の話に戻ります


た「君・・・それをここから屑篭に投げ入れられるかい?」


ま「え・・・あ~たぶん(中略)・・・入ったぜ?」

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た「どこを狙った?」

 

ま「どこって・・・ちゃんと缶用の屑篭を・・・」

 

た「どんな軌道を狙い どのタイミングで手を離した? 到達までの回転数は? すべて満足いく結果だったかい?」

 

ま「・・・あいつならすべて考えて投げるってことか?」

 

た「さあ? けど少なくとも投げた缶が弾かれにくいよう空き缶の山以外のところを狙うだろうね もちろん無意識のうちに習慣として」

 

ま「缶ひとつ投げるだけで・・・?・・・いや だからこそ十年か」

 

た「そうさ 君が努力により成果を積む間も積まない間も 君の友人はごく当たり前の習慣により才能を育んでいた 費やす時間こそが努力に対する習慣の大きな特徴だね」

 

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ま「・・・でも・・・」

 

た「正解」

 

ま「まだ何も言ってないぜ」

 

た「正解だよ 君は缶を屑篭に投げ入れるという「成果」のために 腕を振り缶を投げ入れるという「努力」をした それは同時にあるタイミングで缶を離し 缶に回転をかけ 軌跡を描くという無意識の行動・・・「習慣」を行っている」

 

ま「ああ 努力ではない行動を習慣とするなら わたしもあいつと大差ない時間を費やしているはずだ わたしとあいつの習慣の何が違うんだ?」

 

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た「端的に言えば 「欲」さ」

 

ここで出てくる「欲」というのが、「努力」と「才能」に大きく関わってくるようだ。 

 


た「そしてそれは同じ行動・習慣を重ねても 差が生まれる原因となる 時間的優位はあるが努力と習慣自体に大した優劣はないさ 問題は意識の有無ではなく「欲」にある さて 君は努力の定義を覚えているかな?」

 

ま「たしか・・・「有意識行動」だったか?」


た「「目的のための」ね 同じ行動をしてもその「狙い」は確実に異なる 缶を投げ入れるだけでも ただ「入れる」だけか それ以上を望むのか・・・ね」

 

ま「意識する・・・あるいは無意識に定める目標の差・・・か?」

 

た「そう 優秀な者ほど とてもミクロな単位でより高度な目標を定めている そしてそれこそ 君がかつて「才能」と名付けていたものだよ さらに君の友人は足運び 立ち振る舞い 呼吸や脈拍の操作等々 無意識ながら常に 非常に高い水準を課して生活している 上質且つ長大な習慣・・・彼女こそ天才と呼ぶにふさわしいだろうね」

 

ま「・・・」

 

「努力」と「才能」に優劣はない。それらのキーになるのは「欲」でその強さによって「成果」と「才能」の大きさが決まるという。

 

ここでおもしろいところはこの台詞

た「そう 優秀な者ほど とてもミクロな単位でより高度な目標を定めている そしてそれこそ 君がかつて「才能」と名付けていたものだよ」

 

有意識・無意識関係なく、優秀な者はより高度な目標を掲げる。より的を小さく設定し、それに治まる行動をする。より狙いを絞っているのだ。

 

そこから生じる違いは明確。「成果」であれ「才能」であれ、もっとこういう結果がほしいと欲を出すことで得られることは多いのだ。本人達は他の人より強い欲でやっているだけなのに、周りから見れば結果だけがいつも出ているように見える。「強い欲で高い目標を設定する力がある」ことを「生まれ持った何か」と表現してしまうんだな。結果しか見えないからな。

 

「努力」のすごいところ

努力と才能についてそれぞれが何たるかも、キーになるものにも触れた。そこで太子は魔理沙に問います。


た「さあ・・・ どうする?」

 
ま「・・・簡単だぜ 「努力」する あいつより高い目的を・・・強い欲を持って努力し続けるぜ」

 

た「まさしく・・・だ それこそ努力の面白いところだよ 習慣では無意識であるがゆえ 長時間を費やせる しかし無意識であるがゆえ 容易に高度な目標へ切り替えられない!」

 

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「努力」は目的のための有意識行動。つまり意識的に行動すること。かける時間に関して言えば「努力」は「才能」を超えられない。しかし、「才能」よりも「努力」にアドバンテージがある点も存在する。

 

それが先程の「欲」に絡む話。

 

「才能」は無意識のためもっと強い欲を自分に課したり、目標を改めたりということが難しい。「才能」とは無意識の行動によって得られたもの。文が意図せず速さを得たように、本人からしたら偶然の産物でしかない。それが才能。

 

「努力」の場合は自分でコントロールできる裁量が違う。有意識で行動するため、もっと高い目標に切り替えたり、改めたりすることが可能。「強い欲で高い目標を設定する力」を「才能」で養うことは難しいが「努力」ならばそれが可能。つまりすべてを決める「欲」すらも操ることができる。これが努力の強みだ。

 

自分の結論を出した魔理沙はここで去っていきます。うんうん、よかったよかった。

 

 

(太子お一人様のターン)


『恐らく・・・博麗の巫女がああも人里から隔離されているのは「普通」を覚えさせないためだろう 自身が当然のレベルとして設定している目標値が化け物じみていることを知れば 彼女は無意識のうちに目標値を下げ いずれは凡人となる 天才とは自信が普通であると信じて疑わない愚か者でなければならない その意味では・・・彼女もまた・・・』 

 

「おっと・・・私としたことが呼吸を忘れていた」

 

 

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「しかし・・・「努力」は「才能」に勝てるのか・・・だって?無意識に呼吸をして 疑問も持たずに手足を動かし 選択することなく表情を作れる君たちが? 言うに事欠いて「努力」だって? そのバカげた「才能」の一つでも私にわけて欲しいよ」

 

「天才とは自信が普通であると信じて疑わない愚か者でなければならない」この言葉がすごく気に入った自分がいる。

 

今まで人の能力を羨んだりする機会はあったけど、こういう切り口で「努力」と「才能」を見たことがなかったからとても新鮮だった。

 

哲学的に完成されているからこそ、特にツッコむ点が見当たらない。この動画を見て、読者の皆さんはどう感じるのかな?と少し興味があったりする。うp主様の一ファンとして、ちょっとでも何か思うところがあってくれれば紹介者としてうれしいです。

 

そして、最後のオチまで素晴らしいとかずるい。

 

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