一年間をうまく振り返るコツについて書いたところで、今日の記事は「じゃあ振り返ったら次どうすればいいの?」というお話。
今回の内容は、前回の内容を前提にしています。下記リンクのページを先に読んでから閲覧していただけるとわかりやすいと思います。
管理人の記事に沿って一年間の振り返りを実行してくれた人がいたとしたらブロガー冥利に尽きるものがあるね。
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一年の振り返りで「反省」はするな!
反省するな!これが管理人の主張。
もともと反省なにそれおいしいの?的な我は通すタイプ、それで仲違いするならば「それはそれで仕方のないこと」とまとめてしまう管理人です。いろんな意味で反省が薄いと自覚したのは5歳のとき。自分の気の強さがたまにめちゃくちゃ恐ろしい。
さて。一年の振り返りを行う際、気をつけてもらいたいポイントがあった。それは「いい、悪いなどの結論を出さないこと」だ。安直に結論を出して、その日の気分で一年を振り返るのを防ぐため、分析して分析して分析するに留める。それでやっと自分の一年というのが明確に見えてくる。基本的にここまでやったら結論付けてもらっても、後悔してもらってもいいんだけど、この振り返りがしっくり来た人に対してもうひとつ「反省しないことのススメ」を紹介する。
「反省しない?じゃあこの一年、ぼーっと眺めて終了?そんなんで来年に活かせるの?鳥頭なの?しぬの?」そんな言葉が聞こえてきそう。
うん、そもそも「来年に活かす」という発想がおかしいと管理人は思うのです。
反省することに意味がない理由
「今年を振り返ってだめだったところを省みて、来年に活かす。そのために反省する」
反省が必要だと論じる人の主張はこうではないかと思う。
しかし「だめだったところ、は何をもってだめだと決めたの?」それには明確な基準はあるのかな?いい悪いの根拠はあるのかな?
すぐ結論に考えをもっていき、反省してしまう人は一回自問自答してみて。
「なんとなく」「いや、常識で考えてこの行動は・・・」「だって格好悪いし」みたいなはちみつ漬け饅頭みたいな答えが出てきた人。同じ基準で今まで生きてきましたか?同じ基準でこれからも物事を判断していくと思いますか?
明確に自分の軸を持っている人以外は、言い切れない問いなんじゃないかと思う。そもそも「だめかだめじゃないか」なんて、今の基準だけの話じゃない。
最悪の決断をしたと思っていたら、これが後の大英断と呼ばれることだったとか。すごく今いい思いをしてるなと思いきや、それがすべて崩される出来事が起きたりとか。そんなことが普通に起こりえる世の中で「今の自分が持っているものさし」で懸命に物事を判断しようとしてもそれにどれくらい意味はあるのかな、と。
分析の段階も「いい悪い」の結論を出すことはご法度。分析が終わったとしても「いい悪い、だめかだめじゃないかの結論を出す」というお仕事は未来の自分。今無理矢理反省しようとしてもあんまり意味ないよ、だから別のことをもっと意識しようよ、ということ。
一年の振り返りでやるべきことは、わくわく感を探すこと
じゃあ何のために形式ばって振り返りとかしてんの?反省しないなら振り返りもいらないんじゃないの?なんなの茶番なの?
そういう疑問は尤もですね。そもそも「反省するために振り返る」という概念があるのだとしたら、「反省しないならば振り返らなくてもいい」そんな結論に行くのは必然だな。でも管理人は主張します「振り返りは必要だ」と。
それは反省のためではない。「現状の確認」のための振り返りだ。
分析結果でわかること、それは今の自分がどんな人間かということ。それを確認すること、それこそが振り返りの意味。
そのあと。やってほしいことは「興味あることを洗い出すこと」「来年やることを考えること」だ。
基本的に分析して見つけた「興味のあること」を考えていって欲しい。それをもとに来年やってみたいことを考える。管理人でやればこんな感じ。
【人間関係より】
もともと好きだった人間観察、これが心理学の勉強を行ったことで磨きがかかってきているようにも思う。さらにカウンセリングの勉強もしたため、人から何かを引き出すことに自然と気持ちが向いてしまうようになった。引き出しやすい人と引き出しにくい人がいることもわかってきて、その違いについて考えることも楽しいようだ。来年は行動心理学とかに手を出していきそうな感じがある。
同時にうつ病はじめ精神病が周りでちょくちょく見聞きするようになった。それに対して問題意識となんか貢献できれば、という気持ちがある。実践的なカウンセリングにも少し手を出したい、身につけた精神医療な知識を人のために役に立てたい、そんな気持ちもあるようだ。
ここで書き出したのは、人間関係から見出した興味のあること。我ながらあんまりいい例ではないな(滝汗)それでも一応興味のあることは見つかった。
どうやら「行動心理学」と「カウンセリング」に対して興味があるらしい。じゃあこの興味のあることをもとに来年はどうしていくかを考える。
考える、といっても「こういう風にやりたいなあ」「これはどうしたらできるかなあ」みたいなふわふわした感じで問題ない。大切なのはわくわく感を掻き立てること。
一度あなた自身でやってみて下さい。
わくわく感ちゃんとある?来年、楽しみになってきた?
そうであるならば、この年末の儀式は成功していると思う。分析したすべてのことに対して興味のあることの洗い出し、そして来年に思いを馳せて欲しい。
来年をより充実させるために、わくわくする
前回の記事と今回の記事、まとめるとこんな感じ。
安直に今の基準で反省するよりも、来年に気持ちを向けていく努力をする。来年をより充実させるために、気持ちをどんどんあげていく。このほうが楽しいもんな、多分。
今更っぽいかもだけど、反省が悪いことだとは思わない。それでも「反省」という言葉には「悪いことをちゃんと自覚しなさい」みたいなニュアンスがあるように思う。反省しろ、といわれることって圧倒的に悪いことをしたときの方が多いしね。言葉自体にはそんな意味は含まれていないはずなのに、どこか「反省しよう」という気持ちには内罰的な意味が含まれているようだ。
でも、結局ここで提案した方法も、反省することも、目的は「来年をいい感じにすること」で一致する。単にアプローチ方法が違うだけ。そして過去への意識の仕方が違うだけ。
だから、本当の意味でちゃんと「反省」できている人に対しては、いつもどおり反省してもらえればいいと思う。ただし、なんとなく年末に求められる「反省」が億劫な人に対しては少し視点を変えてみる意味でこの方法はなかなかオススメ。
今一度試して頂ければ幸いです。
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