前半記事にて、「第二の脳のつくり方」を読んでなるほろ~ってなったポイントをまとめていたが今回はこの続き。
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一生懸命やることは楽しい
フロー理論の鉄則、それは外部の出来事に影響を受けないこと。
そして、フロー理論の鍵は「楽しい」という感情。どんな環境で、どんな状況で、どんなことをしていても楽しいといえてこそ「フロー化」しているといえる。
では、外部から影響をうけない「楽しい」とは一体なんだろう。
筆者の主張は「一生懸命を楽しむこと」だ。
「一生懸命を楽しむこと」は、他人、環境、結果といった外部の要因なしに「楽しい」感情を抱くことができるほぼ唯一の方法であるという。さらに人には予め「一生懸命やること=楽しいこと」と感じるような遺伝子が組み込まれているらしい。
シンプルだけど、真理かもね。
「楽しい」から一生懸命になれるのではなく、一生懸命だからこそ「楽しい」。
何事も一生懸命にやれば楽しくなる、そういった潜在能力を人間誰しも有している。その潜在能力を発揮し、「一生懸命」と「楽しい」が共存した状態、それこそがフローな状態なのだそうだ。
つまりフロー状態とは、人が有している潜在意識をフルに使用できる条件が整った状態である、ということ。
フロー理論と集中力
フロー状態になる条件は以下3つ。
一生懸命やること。
それを楽しむこと。
内的動機によってそれを行うこと。
それが条件となる理論。
「やらなければいけない」という状態ではなく「やりたくて仕方がない」という心理状態がフローを引き起こす。 それは結果的に高いパフォーマンスを引き出すことができる状態が維持できること。さらに自ら没頭してしまうゆえに、気が散ることもほぼない。いろんな方面からさいつよな理論だったのだ。
「集中力」をフロー理論を使用して考えるなら、好きで好きで仕方なくて没頭している状態になる。本当に好きならば、勝手にいつまででもやれるから、気が散るとかありえないってこと。
「集中=何かに没頭している状態」ということになる。
さしずめ、物事に没頭するためのコツがフローな状態といったところだろうか。つまり集中力というのはライフスキル脳や認知脳、フロー理論だとかいろんな要素がバランスよく機能したその上に構築されるものであり、集中力単体をどーのこーのいうものではない、そんな気がしてきた(迷子)
集中力というのは、総合力に近いものなんじゃないか。逆に言えば、集中力が欠けているとすれば、集中力を構築するもののうちどれかのバランスが崩れていたり、一定のレベルに達していない能力があったりということが起こっている、と(心当たりしかない)。
そうなると現状の課題の洗い出しか、この本以外の情報をインプットすることで方向性の認識を改めるしかあるまい(震え声)大丈夫かよこの企画。
同時進行でこんなことも考えていた↓
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