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鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

将来なりたい職業第一位がITエンジニア・プログラマーって多分嘘だよ。

 

マイナビからこんな情報が転がってきました。

news.mynavi.jp

 「将来なりたい職業」を聞いたところ、男子中学生では「ITエンジニア・プログラマー」(24.0%)が1位となった。続く2位は「ゲームクリエイター」(20.0%)、3位は「YouTuberなどの動画投稿者」(17.0%)、4位が「プロスポーツ選手」(16.0%)、5位は「ものづくりエンジニア(自動車の設計や開発など)」(13.0%)となった。

 

 

世間の予想を裏切る、1位・ITエンジニア・プログラマー

 

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この業界の厳しさは見聞きする程度だけど「えええ・・・まじで・・・」と微妙な顔にもなるもので。実際「 や め と け 」とか「奴隷志願者乙」とか「どM世代」とかいろんな言葉で揶揄されているところからみて、管理人の認知と実情は近いところにあるようです。

 

そんな「特攻隊かよ」とか言われるこの結果に対して、違和感を抱く社会人の一人ではありますが、同時にどこか納得している自分もいます。今日はそんな内容の記事です。ゆっくりしていってね

 

ってか、Youtuberとかがランクインするんだ。。すげー時代だな。。

 

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高校生のなりたい職業NO.1はプログラマー?!

 あらためて、以下が高校生が将来なりたいと思っている職業ランキングです。

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 高校生って、自分の将来就く仕事を「将来」という漠然とした視点で見られなくなる時期だと思います。就きたい仕事に資格が必要だとなったとき、それを取得するために進路を選択する必要があったり、自分の適性を感じ始めたり。「可能性は無限大だ」と言われていた子供の時代から、その可能性を一気に削ぎ落としていかないといけない関門のひとつが高校時代なんですよね。

 

だからこそ、上記のデータは妙に現実を見ているように感じます。

 

数年前、同様の調査で公務員が一位になって「夢がねえな!」と発言を集める結果にもなったとおり、この結果は、時代背景と社会の風潮に左右されます。いわば高校生が見ている「社会」のイメージそのものです。

  

今の学生が「社会」に不安を感じやすい理由

昨今「仕事の何割が自動化されてなくなる」と巷で騒がれています。その煽り文句と同じ状況がどれだけの期間で実現されるのかは分かりませんが、焦燥感を抱いてしまう自分がいるのも事実です。

 

組織に頼らずとも、自分ひとりを生かす能力ぐらいもっておかないとな。・・・管理人がブログをひっそりと更新し続ける理由のひとつとして、そういう意図もあったりします。

 

社会に出て働く立場であれば、今自分がやっていることをベースにあれこれ考えて行動に落とし込んだりもできますが、学生の場合はそれが難しいと思います。

 

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少し端末を操作するだけで、社会人の状況が手に入ってしまう情報化社会では、下手に情報収集してしまうと、「知ることによる不安」を蓄積してしまう結果になってしまいます。

社会人なんて「なんか知らんけど、入ってみたらなんとかなった」程度のものなのかもしれないのにね。やってみないと何ともいえないことなのに、情報を収集できてしまうことでわかったふりをしてしまうこと。それもまた、情報化社会の弊害の一つだと思います

 

そういう意味で、今の学生達はより将来に対する不安を抱きやすい状況にあります。

だからこそ、時代に淘汰されにくい仕事として「ITエンジニア・プログラマー」を選択するのではないか、そう思います。

 

時代を淘汰する商品を生み出す側になれば、しばらくは安泰だろう。その発想もまた必然ですよね。

 

「やってみたいこと」ではなくて「やるべきこと」を選んでしまう社会の風潮

そう思うと「将来なりたい職業」って、「将来就いてみたい職業」ではなくて「将来就くべき職業」を自分の知識の中から選んでみただけなんですよね。

 

電通とかで東大卒の女性が自殺したニュースとかが流れている中で、本気でプログラマーとして働きたいと考えている人ってそういないと思います。

むしろ、高校生達がそれを選ばざるを得ない状況に、社会人のひとりとして「なんかごめんな!」って言いたくなる。。それが先輩社会人としての本音でもあります。そうだよねえ、生きづらいように見えるよねえ。。

 

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「何がしたいか」ではなくて「何をしなくてはいけないか」。「どんな仕事がしたいのか」ではなく「何が必要とされているのか」。

 

そういう考え方をさせてしまうのは、この社会の風潮です。風潮は誰が作り出したものでもなく、必然的なもの。一言でいってしまえばしゃーないことなんだと思います。

 

それでも、その場その場にあわせて自分のすべての指針を決定してしまうこと、それはやってはいけないことだと思います。

 

世間の需要に応えることの限界

社会の需要にあわせて自分を決めてしまうと、確かに社会からは必要とされるでしょう。そんな場所にお金も集まります。

 

対人関係であっても、相手がどんな言葉を望んでいるのかを考えて発言すれば、人から感謝されるし、また別の機会に相談を持ちかけられたりします。昔の管理人がそんな感じでした。自分の本音は別のところにあっても、人から必要とされることが目的としてあったがために、自分の本音に気がつかないフリを決め込んでいたんですよね。

 

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しょぼい話にはなりますが、管理人の大学生の頃の話です。このブログでも一回だけ書いていますが(成長してない気がする人へ。自分が成長しているかどうかがわかる、たったひとつの質問 - 鳥頭奮闘記)とあるサークルを運営する立場になったとき、一部の人から嫌がらせを受けたことがあります。

 

陰口を堂々と言われることや、やろうとしていることにイチイチ難癖を付けられることは、まあしゃーないとして。後輩達掴まえて「あいつのいうことは聞くな、聞いたらどうなるか(ry」みたいな脅しまで裏で行われたというどうしようもない思い出です。その集団と関わるのは諦めたとして、問題は中立の立場を保ってくれる同期や後輩達だったんですよね。

 

流石に大事にせざるを得ませんでしたよ。だって敵にならないでいてくれるんだし。サークルの幹部としてこれ以上人望落とすと運営も何もただのお荷物になるし。そう思って、そんな人たちの需要に合うような行動ばかり取っていました。

 

需要と供給。自分には人から必要とされなければならない状況を抱えていたし、相手は誰かから言葉をもらって楽になりたかった。確かにそこには自分の居場所はありました。

 

でもね、結局思うわけなんですよね。「あれ?自分って一体なんなんだ?」って。

 

無理して需要にあわせて、必要なことをやっていって、最終的に残ったのはなんだ?無理して笑って、思ってもいない言葉をあげて、そうまでして手に入れたかったものってなんだ?何のために自分は今、苦しいんだ?って。

 

たかだかおまいの人間関係の話と、将来なりたい職業を同一視するな!というツッコミは尤もです。規模が違う分、話にズレは生じます。

ここで言いたいことはあくまで「世間にでも、人にでも、何かから必要とされたいという欲求には終わりがある」ということです。

 

世間の需要から行動を決めることの危険性

誰かから必要とされたい。

それは人間には本能として備わった欲求です。マズローが提唱する五大欲求の中で一番大きい欲求、それ自体は正常なもの。あって当然のものです。

 

それでもその欲求に流されることを、無条件に肯定してはいけません。対象が人でなくて世間という大きな括りなら尚更。稼ぐために生きるのか、生きるために稼ぐのか。この辺があやふやになる分、世間を相手にする方が気付くことが遅れる可能性が高く、厄介かもしれません。

 

意志決定をする局面で自分に問いただしてみてください。「これは自分がやりたくてやっていることなのか、それとも何かから必要とされるための行動か」 

理想は自分のやりたいことと、求められていることがイコールになる状態ですけど、問題は矛盾したとき。あなたはちゃんと矛盾に気がつくことができるでしょうか。

 

管理人ももともと承認欲求は強いほうです。自分を必要としてくれる人が多ければ多いほど、自分に価値が付くような気がして。人から求められてナンボと考える自分も実はいて。いろいろ痛い目を見ているわりに鳥頭だから学習してくれない。。

 

だから、これは自分の戒めのために書いている記事でもあります。

 

ちゃんと覚えとけよ。

誰かから必要とされたい、そんな欲求には必ず終着点があるんだ。

 

自分と向き合うことから逃げないように

管理人はどこかに転がる馬の骨系ブロガーでしかないので、人の人生設計にまで口出しすることはできません。

けれど、今回この調査結果を受けて「おまえら!勘違いしてんじゃねーぞ!」と思うからこそ、記事を書いてみました。

 

あ、結局大学の頃のわちゃわちゃ後の管理人ですが、とある機会にふっきれて「もう自分のやりたいようにやらせてもらう。なるようになれ」という劇的なシフトチェンジの末に、今日も元気に問題児をやっています。

 

結局自分が選んだ人だけ大事にしていればいいと思うし、その人たちに必要とされる自分であろう。そのための努力はしよう。その他大勢の需要なんて知ったこっちゃない。空気は読むもんじゃなくて吸うもんだろ!ってねw

・・・あの頃の反動か、言いたいことをぽんぽん言ってしまって昨日課長と一触即発状態になったがな。しらんがな。言いたくなったんやがな。そんなわんぱくな鳥頭です。

 

でも、本来はそんなもんかもしれません。

 

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確かに多少は世間の需要に応えることも必要なときもあります。

わんぱく鳥頭の管理人とて、こんな記事が今はウケそうだと思いながら書いている記事はあります。潜在需要を読み取ることの大切さを日々痛感する毎日です。

どこからが危険なゾーンなのか。これに対しては「人によって違うんちゃうのん?」と明確な答えが出せていなかったりします。

 

けれどやっぱり、世間の需要を行動の指針にすることは危険。

 

結局、世間の需要に応えて、自分の意志を疎かにしてしまうのは、自分と向き合わなくていい分、楽だからです。でも今楽をする分、いつかそれに向き合わなければいけない日がきます。楽を取った分、喪失感とか虚無感とか、そんな対価もあったりします。

 

だから。

流されていた自分がいやになる前に。

何のために頑張ったのかわからなくなる前に。

自分自身の気持ちを完全に見失う前に。

 

 

自分と向き合うことから逃げんなよ。 

 

 

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