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鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

【自己分析】自分の「好きなこと」をちゃんと説明できますか?

 

ちょっと今更感ありますが、就職活動中であろう学生さんたちを見かける機会が増えました。もう春ですね。

 

今回は自己分析のお手伝いとして「自分の好きなことが何かわからない」という哲学的な悩みに陥ってしまった就活生に新たな視点を提供できればいいなと思い記事を書きました。

テーマは「「好き」に現れる自分の価値観」についてです。ゆっくり混乱していってね!

 

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それって本当に好きなことですか?

先日会った友人と話していた際、好きな音楽についての話題になりました。

 

その友人はもともと音楽が好きで、よくアーティストのおっかけをしたり、休日はライブにいきまくったりと、まさしく「No music,No life」的な生活を送っています。鳥頭もそれなりに音楽は好き。だけど通勤中に聞く程度で、特定のアーティストのファンだったりすることもなく、人混み苦手な太刀からしてライブにも行ったことがない。

 

熱狂的音楽ファンに叩かれそうな、ほそーくゆるーく音楽を楽しんでいる勢だ。

 

そんな友人と以下のような会話をした。

友人「鳥頭って最近どんなん聞いてんの?」

鳥頭「いろいろ。三味線からハカセタロウぐらいまで聞いてる」

友人「遠いのか近いのかわからん」

鳥頭「最近は0 soul 7っていうアーティストがちょっとキテるかも」

友人「へー。それってどんなグループ?」

鳥頭「知らん」

友人「え」

鳥頭「知らん」

友人「えっと、何人で活動してるとかも・・・」

鳥頭「知らん」

友人「・・・」

鳥頭「・・・」

友人「・・・それってほんまに好きなん??」

 

言葉にして書き起こしてみると「こういうところがコミュ障っていわれる所以だろうな・・・」と虚空を見つめてしまう鳥頭です。

 

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さて。

以上の会話で、友人と鳥頭の「好き」の感情への認識差に隔たりを感じます。単に音楽狂いかそうでないかの違い以外にも、何やら根本的な価値観の相違がありそうな気配です。これからしていくのは、友人との会話で気が付いた、考え方の切り口の違いについての話です。

 

好きならば「知るべき」「知らないべき」??「好き」に対するアプローチの差

友人と鳥頭の間に大きな前提の違いが存在する。

 

友人:好きなものだったら、その情報って集めるよね。アーティストならどんな曲出しているかはもちろん。何人のグループでいつから活動していて、メンバーはどんな顔をしていて、今はどこを拠点にしているのか。みたいなことまで好きだったら調べるよね。それを怠ってるってことはそんなに好きじゃないんでしょ。

 

鳥頭:いいなーと思ったアーティストの曲は一通り聞いてみるよ。自分好みの曲が他にもあるかもしれないから。でも、アーティストの来歴とかは調べない。大事なのは、その人たちが書いた曲だし、それ以外のところに興味は沸かないかな。

 

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先ほど書いたように、この二つの主張には音楽ヲタかそうでないかが明確に現れている。鳥頭冷めてんな!!と思われそうなのは、入れる熱量の違いだから、ここに差異がでるのは当然。

 

この二つの主張には前者には「知ることをよしとすること」。後者には「知らないことをよしとすること」が前提として存在する。 なんでこんな違いが生まれたか。この記事の焦点はここにある。

 

作品を「結果主義」で考える

 鳥頭の場合、評価の対称が曲そのものだ。

 

どんな曲であれ、生みの親がいる。その人の来歴なんて計り知れないし、聞いたところでわからない。

だからこそ、その人の人生の結果として曲を捉える節がある。作者もその経歴も、秘話も関係なく、完成した曲だけに注目してしまうのだと思う。

 

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鳥頭も弱小ブロガーとして毎日文字を綴っている立場。過去にいろんな経験をしてきて、感じたことがあって、感情を覚えていって今の自分が形作られた。でもこれを書いている今は、自分の人生の過程なんてどうでもいい。今綴っている文字が自分のすべてでいいじゃないかと思いながら、駄文を量産しているわけで。

 

どんな過程を経たとしても、その結果が作品のすべて。それ以外の要素はたとえ生みの親の来歴であっても関係ない。

美しい絵に色を足していた手がゴツゴツの大きな手であろうが、細いきれいな手であろうが、どっちでもいい。これが鳥頭の考え方。結果主義っぽいんですよね。

 

だからこそ、曲以外の要素を知ろうともしません。

 

作品を「過程主義」で考える

一方友人は、その曲を生み出した過程。どんな人がそれを生み出したかに注目する。 

 

その人だからこそ生み出せた作品。そこに価値を見出し、開示されている情報をつなぎ合わせる。曲を超えて、人をも吸収しようとする。それが友人の考え方。作品の裏側にある小さなエピソードまで拾って組み合わせていく様には、いつも下を巻く。察する能力が異常に高いんだよな、ほんとすげえ。

 

曲を楽しむに当たって、注目すべきところは、全部。作品が生まれた過程をも楽しむことができる。要は過程主義っぽいんですよね。

 

・・・好きを拗らせたらみんなこうなるような気がしてきた。 

 

なぜそれが好きだと思うのか。「好き」を細分化したら見えてくるもの

それぞれ人の価値観の問題だから「どっちが正しい」とかで議論する話ではないと思います。あくまで人それぞれ感じ方があって、注目する点も人によって違うんだろうし。単に違いを見つけて楽しむぐらいのスタンスがいいと思う。ここに関してとやかくは言わない。

 

けれど、好きなものに対し、最初にどんなところから好きになったかという出発点って自分の価値観を如実に反映する場所なんじゃないかと友人とのやりとりを通して思った。 

 

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 音楽が好き。この一つの言葉の中にも、歌詞を追うのが好きなのか、メロディーが好きなのか。はたまたノレるところが好きなのか、落ち着かせてくれるところが好きなのか。人生の結果できた作品と捉えるか、人生の過程を知る手掛かりと考えるか。多種多様な楽しみ方があるわけですよね。

 

就職活動の自己分析で避けては通れない「自分の好きなことは何なのか」という問いについて、「どういうところが好きなのか」ともっと細かく見ていくと新たな視点が生まれるのではないでしょうか。

 

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