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鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

「日本死ね」が流行語大賞に選ばれてうれしかった

 

日本死ね」が流行語大賞になってしばらく経つが、今更ながらやっとこさポチポチ考えたこと書いてみよう。

anond.hatelabo.jp 

日本死ね」でぐぐったら二つ検索に引っかかったので両方読んでみた。

 

流行語大賞になったことに対して波紋を呼んでいる記事。言葉が汚いとか、日本人としてとか、政治がどうやらって話はようわからんので置いとく。

とりあえず、率直に思ったことをなんとか言語化していくだけの記事です。誰の考え方を否定するとか何の味方してるとかはなく、ただの主観記事。

 

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上記の記事を読んで、まず第一に思ったのが「すごく素直な記事だな」という我ながらぼやんとした感想。辛いことがあったとき誰しも一度くらいは「〇〇死ね!」とか心の中で呟いたことあるんじゃないか。それを表面に出さないように仮面を被って生きている。その仮面の下を全部さらけ出した感じ。それに対して少し好感すら抱く。

 

 

辛いときでも耐えなきゃいけない。苦しいときでも笑っていよう。

そうやって感情を隠す人がいる。そうやって感情をなかったことにする人がいる。

 

それに対して非常に不健康な印象を抱く。感情を否定し、自分を奮い立たせないといけないときがあることを否定はしない。けれど、それを常に続けることによって自分の感情ってわからなくなっていくものだと思う。「自分が好きなもの」がわからない。「自分がやりたいこと」がわからない。ずっとそうだと信じていたものが実は「自分が好きと思うべきこと」だったり「自分がやるべきこと」だったりもする。自分の感情を隠しながら、自分の感情を麻痺させながら、みんな生きてる。それが一億三千万集まったのがこの日本という国。

 

24時間テレビなんかでやってるような特集でも、苦しいときでも笑っていた、みたいな美談がいくつも放送していた。数々の障害を乗り越え、夢を実現させていく姿勢はすごいと思うし、それらはもちろん素晴らしいことだ。

 

それでも、それが泣き言や本当の感情を許さない風潮を作っているようにも思う。

 

辛いことがあったときみっともなく泣き喚いている人に、日常の小さなことで落ち込んでしまう人に、その美談はどんな風に響くのだろう。一人で転んで立ち上がってを繰り返す人に、ボロボロになるほど傷を抱え込んだ人に、その美談は何を促すのだろう。明日が来るのが怖いと涙する人に、死にたいほど悩んでいる人に、その美談は何を訴えるのだろう。

 

無理しなくていい。笑いたいときだけ笑えばいい。泣きたいときは泣けばいい。理不尽になりたいときは理不尽になればいい。本来ならば感情と状況なんて別々のものなのに、それを一緒に考えてしまっている。誰かが軽く飛び越えた壁の前で立ち往生している人もいるし、誰かが超えることなど不可能と感じる壁を壁とすら思わない人もいる。

 

感情とはそんなもんだ。壁なんてそんなもんだ。それぞれ感じ方が違う限り、悩みなんて本当の意味で共有なんてできない。こういう風に感じなさいという模範があるわけでもないのに「抱くべき感情の見本」を作ってしまうんだよな。自分で自分の首しめてんだよな。

 

 

個人的にはこの言葉が流行語大賞に選ばれたことがうれしかった。「抱くべき感情の見本」の真逆の感情を。誰にも見せるべきではないと「隠せ、感じるな」と教えられる正直な心があることを認められた気がしたから。

 

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泣き言を言え、無理矢理作った笑顔なんかに価値はない。

苦しみを叫べ、あなたが今感じていることそれだけがすべてだ。

好きなだけ嘆け、上っ面のポジティブよりずっとマシだ。

理不尽になれ、それがあなたがあなたでいるために必要なことならば。

 

 

ここがそれすら認められない国ならば。日本死ね

 

www.abaretoriatama.com

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