鳥頭奮闘記

「3歩で忘れる鳥頭」と称された管理人が送る備忘記録。人生って常に修羅場。

ルーティンでいつでも集中状態を作れるか検証してみた~仕事のミスを脳科学で減らす方法~

 

前回、この段階でルーティンの定着度を評価する。とか題名つけながらウルトラ主観でしかない記事の投稿をやらかした管理人です、ごきげんよう

bokibokirunrun.hatenablog.com

 

 

次の目標として「本来の目的である仕事にも実践していこーぜ!(・∀・)」となんとも調子のいいこと抜かしていた。一晩経って冷静になってみて「今のルーティンワークが読書だけにしか使えないのか否かだけ確かめよう(´・ω・`)」と弱腰ながらも着実なステップを歩むことを再選択し、それができるかどうか確認してみたった、というのが今回のテーマ。

 

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ルーティンワークに応用は利くか

結論としては。意外と応用は利くようだ。

 

実際「ルーティン崩れるかもしれない、そもそも俺氏が集中できているという認識が気のせいだったのかもしれない、もっというとこのブログも実は夢の中で書いているかもしれない。さらに言うと鳥頭を克服したいと思ったことなどないかもしれない」という万全な「かもしれない運転」監修のもと、仕事でやってみた。

 

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読書開始するような「金次郎さんモード」にすとんと入るような感覚はやはり場所を選ばないようだ。

一番心配していた「金次郎さんモード」が仕事でも使えるのかという疑問も「いけるやん!」というこれまた主観的な感想。

 

 

ルーティンワークが機能している状態とは

前に書いた記事(下記記事参照)で「ルーティンを評価するには、結果ではなく狙い通りの精神状態になれているかで行う必要がある」みたいなことを考えていた。

 

 

意図としては「ミスが出た」ことと「集中状態でない」ことが必ずしも矢印で結ばれることはない、というところ。他にもミスを起こす要因があったとすれば、それを「集中力で解決する」ことは根本の解決にはなっていないため、的外れな対策ということ。「集中力で解決できる問題」とは「集中力が足りなくてミスが出ている状態」のみが前提になっていてこそ。

 

では何をもって「ルーティンで集中力が発揮されている」ことを判断すればいいかというと「狙い通りの精神状態になれているか」という点に注目するべきで、「これだけミスらなかったで!」という結果ではないんだな。「狙い通りの精神状態になれているか」それこそがルーティンを評価するうえで鍵になるポイント。

 

うん、そうだ。そういうことだ。

 

事故解決(誤字ではない)して鳥頭はじゃあ具体的にそれをどうやって・・・みたいな方向に突き進んでいってしまった。

 

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でも、今になってよくよく考えれば「狙い通りの精神状態になれているか」っていうのは「ルーティンワークが機能しているか」というのと同じ次元の問いではないのかと思った。

 

「狙い通りの精神状態」になれていないならば、そのルーティンが意味をなしていないということで。評価するとかそういう段階ではなくルーティンが機能していない事実に対して「なんでや工藤」というWhyの視点から再検討するというアプローチの方法があると考える。

 

一言でいうなら「評価以前の問題」。

 

管理人の意図としては「ルーティンが機能しているかを段階的に評価したい」だったのに、出した結論が「ルーティンが機能しているかどうか」というそれ以前の二択問題になってしまっていた、ということ。「自分の打率を数値に起こして客観的に評価したい」と思いながら「自分はボールを打つことができるか否か」という問いをしているというトンチンカンをやらかしてたってことなんだわな。

 

いやはや、評価するって難しいね(白目) 

 

一旦「使えることは使える」ということだけはわかったので、もう少し定着させる期間を設けると同時に、少しずつ今できることとできないことを確認する上でどんなことがこれからの課題になるかを考えていきたいなと。

 

 

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